ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

だらだら日記ー心理学と都営バスとピチカートファイブ

7日
今日は蒸し暑かった。しかも夕方からは雨。
去年は娘の受験で、自分のことは後回しだった。生活サイクルが落ち着いてきたので、8月から放送大学で心理学を勉強を再開。
心理学科の学士を取るため、割と真剣に必要単位の取得に取り組んでいる。

実のところ心理学に、そこまで興味があるわけではない。
3年ほど前にひょんなことから子どもに関する職に就いた。続けるうちに仕事のキャリアアップになるかもと、心理学の勉強を始めた。内訳としては、心理学という学問への好奇心が半分、仕事に対しての下心が半分という割合という感じかな。

私のイメージする心理学に興味がある人は、人間が好き!趣味は人間観察とか言っちゃうタイプだ。偏見だろうか?私自身は友達がいない、基本一人行動なタイプなんだよなー。

ただし実際に心理学科卒になるために必要となる単位は、思った以上に多かった。特に心理統計学(必修科目)の単位に関しては、去年勉強不足で単位を落としてしまった。心理統計学は要は数学なので、ホネの真髄まで文系の私にとつては鬼門もいいとこ。
しようがないから、もう一回新規で申し込みをした。

 

8日
曇り。空は雨が激しく降りそうな雰囲気を出しつつ、結局本格的な雨は降らなかつた。。
転職したので4月からバス通勤。10年以上東京にすんでいるのだけれと、恥ずかしながら都営バスが移動手段として広く使われていることを、全く知らなかった。
実は都営バスの定期券は、なかなかスグレモノだ。これを持っていれば、都内なら定額でバスが乗り放題になるからね(運賃は、一律210円)。
ちなみに都営バスには電車と違って、通学定期はあるのだけれど、通勤定期というもの自体が存在しない。
定期券の値段は大人なら誰でも1ヶ月で9,450円。私は半年分で買ったから、51,030円。
これがあれば、都営バスの運賃は、どこから乗っても、どこまで乗っても定期かあれば大丈夫ってわけ。

バス通勤になってからようやく、東京にはバス停が至るところに設置されていることに気がついた。

 


むかし渋谷系*1の音楽にはまっていて、その中でも特に好きだったピチカートファイブ*2の曲に、「東京は夜の7時」という大好きな曲がある。
その中で ~東京は夜の7時、嘘みたいに輝く街~という歌詞が歌われている。独身の頃によくピチカートファイブを聴いていたけれど、まさか将来自分が毎日のように夜の7時の東京を、バスの窓からぼんやりと見つめる日々をおくることになるとは思いもしなかったよ。

 

東京は夜の七時

東京は夜の七時

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*1:渋谷系たはシブヤ系(しぶやけい)、もしくは渋谷系サウンドとは、東京都渋谷渋谷区宇田川町界隈から広がる裏原宿)を発信地として1990年代に流行した日本ポピュラー音楽

*2:1984年から2001年まで活動した日本音楽グループ。1990年代の日本において一世を風靡した「渋谷系」と呼ばれる系統に属し、その音楽性のみならず3目ボーカルである野宮真貴ルックスファッション面も評価が高かった

だらだら日記ーひまわり畑とノストラダムス

9月4日
ひまわり畑に咲く、一面のひまわりを見に行きたい!と数年前から思っている。夏が始まる前に、今年こそ!と決意するのだけれど、冗談のように熱い真夏の日差しに負けてしまう。そうしてひまわり畑に行かないまま、夏が終わりに近づいてはがっかりすることを繰り返しているのが現実。

ひまわり畑への憧れは、おそらく20代に見た、「黒猫・白猫*1というフランス・ドイツ・ユーゴスラビア合作映画の中に出てきた、背たけほど生い茂るひまわり畑の映像が、心のどこかに残っていたのかもしれない。

反体制への皮肉を動物をうまく使って描いている作品。人によって好き嫌いはかなり分かれると思う。

 

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実は15年くらい前なのかな?まだ保育園に通う年齢の娘を連れ、3時間近くかけて、ひまわり畑を見に行ったことがある。
その時は何故か、どうしても一面のひまわりが見たいという気持ちが抑えられなかった。

電車を何回か乗り換えて、バスにも乗ったかもしれない。それから歩いて、とうとう疲れてぐずりだした娘をおんぶしながら、なんとか目的地にたどり着いた。
夏の終わりのひまわりは、もう満開を過ぎて枯れかかっていた。それでもあたり一面、ひまわり花が私を迎えてくれたのだ。嬉しかったし、たどり着けてホッとしたことを今でも覚えている。

当時保育園児だった娘は、この秋21歳になる。

 

9月6日
残暑が続く。
私にとって夏の終わりは、ノストラダムスの大予言とセットになっている。「1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」という、知る人ぞ知るアレ*2のことである。

 

 

若い頃は地球温暖化なんて言われてもピンとこなかったけれど、昭和・平成・令和と変化していく夏の暑さの違いから、時代の違いとともに時間が確実に進んでいることを感じるせいだろうか?
今思うと世界の滅亡って、実際は何なんだよ?1999年に恐怖の大王が降ってくる予定だったけれど、恐怖の大王ってそもそも誰?

怪しいと思いつつ、雑誌の裏表紙で宣伝されている死ぬほどうさんくさいオカルトグッズが欲しかったなぁ。さすがに買わなかったけど。

去年知ったことだけれど、お笑いコンビの三四郎の小宮 浩信(こみや ひろのぶ)が、ノストラダムスの大予言を信じて高校を留年したそうだ。人ごとだとそんな予言に振り回されるなんて、バカだよなあと思える。しかしながら、小宮に対して妙な仲間意識を持ってしまったのも事実。

*1:アンダーグラウンド」のエミール・クストリッツァ監督が、ドナウ川沿岸に暮らすロマ一族の悲喜こもごもを生き生きと活写したコメディ。1998年製作

*2:1973年に発行された五島勉の著書

2月のジェットコースター~今は8月

2月はジェットコースターにのっているかのように、めまぐるしく終わった。

 ・娘の合格発表

 ・それに伴う、入学手続き(奨学金の手続きも含む)

 ・自分自身の転職活動

 ・8月の私(現在についてー放送大学と私)

思ってより心身に負担がかかったようで、胃と腸にストレスが、、、病院でもらった薬をせっせと飲みながら生きていた。

娘の合格発表

ありがたい事に(まぁ本人も頑張っていたので)娘は第一志望の大学に合格しました。

1年半近い家出のため合計2年の浪人生活を送った娘は、あとがない!と一番プレッシャーを感じていたらしい。本人も年末くらいから、ピリピリどころじゃない日々をおくっていた。

推薦と違って一般入試は当日のできが全てなので、一番近い他人である親の私は環境を整えて励ますくらいしか役にたてない。試験が終わった時点で娘はいける!!という手ごたえが感じたと言っていたけれど、はらはらしながら見守りつつ発表まで二人で緊張していた。

それに伴う、入学手続き

要は、金の算段である。奨学金の申請は済ませていたが、まぁ貧乏な母子家庭なので金の用立てが当初の予定と違ってしまい、色々面倒くさいことが起こった。わかってはいたものの、受験とお金は切っても切り離せない。

自分自身の転職活動

前々から考えてはいたのだが、業種ではなく職場を変わりたいなーと。受験が終わって数日したところで、なぜか突然振って沸いたように知り合いから転職のお誘いがあった。これ幸いとばかりお誘いにのって、職場を変わりましたね。

 

繰り返すが2月(3月もかな)は、まるでジェットコースターに乗っているような日々だった。それまでなんのかんのいっても、ダラダラとこの代わり映えのしない日常が続くような気がしていた。でもものごとが変わるときには一気に変わるものなのだなと驚きつつ、私はそのジェットコースターに乗ったわけだ。

8月の私(現在について)

なんで2月はなんたらと書き出したかというと、ブログを更新しようとしてうだうだ書いていた文章が残っていたのをそのまま続けて書いたから。そして現在8月の私は、真夏の暑さにやられながらも、放送大学の講座をちまちまを聴く生活を送っている。娘の受験生活がやっと終わったので、以前勉強していた心理学の学士を取るための続きを再開した。ちんたら続けていても終わらないと考えて、10教科まとめて申し込みをした(まだ7教科しか単位がとれていないので)。

あーもしかしなくても大変じゃん。やめときゃよかったかもと後悔しながら、授業を聴いている(学生になる手続きをすませたので、インターネットで講義を聴くことができる)。

 

 

 

きれいごとではなく、年をとるのも悪くないのかもしれないという話

年齢をとることで、失うものは大きいだろう。でも得たものはあるなと感じた。

 

ロシア・ウクライナ問題に関係あるようなないような

 

土曜日に昼過ぎまで寝ていた娘を起こすため、娘の部屋の戸をノックして中に入った。半分寝ぼけている娘に声をかけたら、「昨日あまり眠れなくて」という。話を聞いてみると、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことにショックを受けてツイッターで情報収集をしていたら、よけい眠れなくなったそうだ。

まぁタイムリーとも言える話題。

この問題に関しては、ネットでは人々が様々な意見を表明している。しかし私は自分自身にたいした知識がないので、静観しているのが現状だ。不安を感じないと言えばうそになるけれど、とにかくロシアとウクライナの歴史上の関係もきちんと把握できていないし、国際情勢だって分かっていない。ないないずくしの人間に、まともな意見を出せるとも思えない。娘には、こんな感じのことを言った。しかし娘は、「自分は平和ボケしていた」という。ものごころついて初めて、国が他の国に軍事侵攻することを見たという事実に、けっこうに大きいショックを受けたとのこと。

娘と話していたらアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる9.11からもう20年たったことに気が付いた。ハイジャックされた旅客機がワールドトレードセンターに突っ込む映像には物凄いショックを受けたよ。比べてどうこうということではないけれど、それなりに長く生きていると、悲しいことだが何度か世界を揺るがすような出来事を見ざるをえなくなる。そんな話もした。

 

世界は美しくないと知った日

 

私が一番驚いたできごとは、なんといっても1995年に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件だ。20代の多感な時期だったこともあって、世の中にはこんな悲惨な事件が起こることもあるんだと、本当にショックを受けたし、裁判の行方も注意していた。

私はあの日、人間という生き物はどんな恐ろしいことでもやってのけるのか!と初めてはっきりと知ったんだと思う。これは娘が生まれる前の出来事で、彼女にとっては、教科書という紙の上でしか知らないことなんだ!当たり前なはずなのに、あれは昔の事件なのかと軽く衝撃を感じた。

 

年をとるということ

 

今回のロシアの軍事侵攻に関して、私が娘が感じたほどのショックを受けていないのは確かだろう。たんに年をとることで、感性がにぶくなっているのかもしれない。しかしそれだけではなく、長く生きていると色々なことを見たり聞いたりする。

「世界は美しくないし、人間は自分の欲望を満たすためならたいていのことをやってのける」という事実を、悲しく静かに見つめることができるようになのかもしれない。

「正しくても正しくなくても、人間は生きて死んでいくんだよ」と言ったら、娘は少しだけ落ち着いたらしい。

 

ロシア・ウクライナに関係なかったです。

 

 

好き=才能か?ー「プチクリ」

「あなたの中に、多くの才能がねむっている」という、なんとも耳に優しいコンセプトて書かれた、オタキングこと岡田斗司夫先生の本の感想です。彼が2005年に出した「プチクリ」を最近読み返しました。

 

ちなみにプチクリとはプチ・クリエイターの略。プロじゃないけど、楽しんで、自分からクリエイトしている人のことを、そう名づけているとのこと。なんか言葉の響きがこそばゆいのは私だけ?

実は私、彼のユーチューブが大好きで、登録して切り抜き動画までせっせとみております。

 

好きは才能か???問題

いやそんなに単純ではない、、、と思いつつもゴニョゴニョ言葉少なくなる私。

 

クリエイターになりたい!というひとは、性別。年齢関係なく、山のようにいると思います。そんな多くの人々に向けて、実にうまいことまとめてあるというのが正直な感想ですね。

岡田さんは、2005年から大阪芸術大学の「キャラクター造形学部」で教授を勤めているとのこと。そこでの講義の初日、

岡田さんは「150人生徒のうちで、プロのクリエイターになれる人間はせいぜい3人」と学生に言います。つまり残りの147人は、4年間真剣に頑張っても、憧れのクリエイターにはなれないと分かってしまうそうです。

プロ・クリエイターになれるなら、幸福なのか?と彼は問う

岡田さんは本の中で、「人生を楽しく過ごすこととクリエイターになることは、イコールではないし、落ち着いて周りを見渡して」とプロ志望者に呼びかけます。

じゃ、具体的には何をどうすればいいのか?

岡田さんは、

1.「わかること・興味があること=才能がある」「興味がない=才能がない」と定義2.大き目の白い紙(A4以上)に、「自分が好きなこと」「興味があること」「お気に入り」などを書き出す

3。書き出した中で、全体を見て「表現できること」をマーカーで囲う

このスリーステップを経て、自分の才能を可視化、見えるようにするのだと述べています。とにかく定義とやり方がわかりやす!

でもここまできて、読者のとって無視できない問題は、お・か・ね。これに関しては、お金を稼ぐかどうかよりも、大切なのは実際にクリエイトすること、と言う感じでふわっとまとめた印象ですね。

好きは才能か???問題再び

本の中で、「好き=才能」という定義で話が進んでいるので、何かを好きなことは才能があると言うことなのかどうか?という本を読む前の私個人の疑問についてです。本の目次や章立てには、自分の好きなことを才能があるとしているので、そこはつまづく部分ではないという結論に達しました。

なーんか耳あたりが良すぎて上手い詐欺師にだまされたように気がしないようなそうでもないような気がするのですが、ユーチューブを見ている際でも岡田さんのちょっとうさんくさい話の進め方が実は嫌いではないため(そもそもチャンネルのタイトル名が「サイコパスの人生相談」なので)、本そのものは楽しく読みました。

クリエイティブという言葉やクリエイターという職業は、定義づけや扱いが難しい。でもとりあえず自分の興味があること、できること、できそうなことをやってみようと呼びかけるという意味では、良書といえるのでは?

 

 

娘がそこそこ長い家出から、帰ってきた話その2ー裏ではこんなことが起こっていた

この記事に関して、実は娘がこっち(東京)に帰ってきた理由は、大学受験のやり直しだったりする。

娘を実家のマインドコントロールから遠ざけた
 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

 

ギスギスと音がきこえそうなくらいの雰囲気の中で、娘の現役受験の際はあまりの成績の悪さから、卒業が10月半ばまではっきりしなかった。当然どこにもうからず浪人決定。しかもなぜか私の知らない間に、某美大記念受験していた。

その後娘は12月に実家へ家出、高校の卒業式は実家から直に出席し、そのまま私と会わずに帰っていった。

親の私は卒業式へは、出席していないです。娘からの来るな!という明確な意志を感じた。(卒業式に出席するため、東京ではカプセルホテルに泊まったとのこと)

 

次の年に何も連絡がないまま、娘は実家で受験した。しかし娘からみたおばさん、つまり私の妹が娘の受験を完全コントロールという名の洗脳状態に持ち込むという事件が起こり(後から知った)結果、2年目の受験も不本意に終わった。

 

2年続けての受験失敗に実家の人々も娘も放心状態になりつつも、なぜか親の私と縁を切ろうとしてきた。その手続きのため娘のおばあちゃん、つまり私の母から逆切れから始まる電話がかかってきたのが4月。

 

なんだか分からないまま母をなだめすかして(あのときは今にも電話を切られる勢いで、あせったあせった)私におびえる娘に代わってもらって、一年四か月ぶりに言葉をかわしたというわけ。

その後ライン電話に移行して、一時間くらい話したと思う。私の知らないところで、受験にからんだ妙な何が起こっていたらしい。らしいがその時はそこまで分からなかった、

次の日も話しをして、みたいな感じでお互いおそるおそる普通のコミュニケーションをとりはじめたというわけ。

 

妹が黒幕、というかおそろしや「中年の危機」*1

 

私の妹は兄弟の仲でも抜群にIQが高く賢い、はずだった。だったんだけれど、40半ばになってどうやら変なことになってしまったみたいだ。みたいだとは、妹と受験に関して直接言葉をかわしておらず、娘からのまた聞きだから。

妹を信用して娘の勉強をまかせていたのが裏目にでまくった。

妹は娘を塾にもいかせず自分で勉強を教え、受ける大学も娘の希望や実力を半ば無視するかたちで何もかも進めていた。

全てがだめというわけではない。基本的な勉強はみてくれるのだが、実家では「その決定は、本人ではなくあなた(妹)の考えだよね」のおしつけを娘に強いており、もう洗脳とはこのことか!状態。

妹には悪気が全くないんだろう。しかし妹は実のところ仕事もうまくいってないし結婚もしておらず、もちろん子どももいない。話しを聞けば聞くほどおそらく妹は、「中年の危機」の状態にあるようだ。

満足のいかない現状を、娘つまり彼女からすると姪に、ぶつけたのかなと感じた。

 

結果が受験の失敗。娘に責任がないなどとは決していわないし受験が成功していれば問題ないというわけでもない。しかし妹は外部の情報をなるべくいれないようにして、私たちの母を巻き込んで私(母親)を共通の敵とみなし(これに関しては明確な悪意があったと思う)、自分(妹)に依存させるようにしむけていたのだ。

その時はそこまでわかっていなかった。でも「なんか変なかんじ」という自分自身の直感にしたがって、いろいろなスキをつきながらも娘を東京へと遊びに誘い、実に1年半ぶりの対面をすることができた。

 

しかしながら、実は現時点(1月23日)、受験は終わってないのですよ。あー、早くどこかに進学が決まって欲しいでござるよ!

 

 

*1:中年期特有の心

理的危機、また中高年が陥る鬱病不安障害のことをいう。ミッドライフ・クライシスMidlife crisis)の訳語であり、ミドルエイジ・クライシスMiddle age crisis)とも表記される。

頭に綿菓子をつめて生きることはできない

父親との関係が良くないと、社会に出た時の立ち位置がうまくとれない。母親との関係が良くないと、自分を取り巻く世界とうまくいきづらい。

それがやっと理解できたのは、私が40歳をとっくに過ぎたころだった。それまでは、絶望的にムダな努力をしてきた、、、ようだ。

今回は、暗めの内容です。

 

頭に綿菓子をつめて生きるひとたち

 

私の母親は、70年以上生きてきた人生のうち一度も実社会で働いたことがない。お金持ちのお嬢さんだったわけでも奥さんだったわけでもないのに。

若いときには親の庇護の下に生き、年頃になったら専業主婦を希望する男性と結婚し、そのまま実社会へ出ずに70歳をはるかに過ぎてしまった女性。

あの人は死ぬまで、少女のように生きるのだと思う。

ものごころついたころから、何を相談してもトンチンカンで検討はずれのことしか返ってこない。優等生キャラの高校生が言うようなことしか答えることができない。狭い狭い世界で生きてきた彼女の人生からすれば、当たり前なんだろう。

父親はもう鬼籍に入って10年以上と経ったけれど、少女のような女性と好んで結婚した彼は、やはり狭い世界で生きた人だった。

当時は子どもで分かっていなかったのだが、私の両親は二人とも、それぞれの親たちから金銭的にかなり助けてもらいながらでないと、生活が成り立っていなかったようだ。

つまりは二人して、頭に綿菓子がつまったような、おままごとみたいな結婚生活を送っていたということ。

 

胡蝶の夢*1ーどこにもたどりつかない私

 

 

当時の私は親と一緒の世界に生きるため、現実をしっかり認識せず頭を少しぼんやりさせながら、ふわふわと生きていた。そうすることで、同じ家族として両親の仲間に入れてもらっていたのだ。

 

そして私は、奇妙な妄想が頭の中から離れなかった。私の今生きている現実は誰かの見ている夢で、誰だかわからないその人物が夢から覚めて目を開けたなら、ここにいる私はあとかたもなく、消えてしまう。まさに胡蝶の夢に近いようなことを本気で疑っていた。

両親と同じ世界で生きる可愛い娘でいるためには自分もぼんやりしていないと、少女のような母親を追い越してしまう、見捨てられてしまうと本気で信じていたのだ。

今思えば追い越しても良かったのだけれど、当時はかたくなに霧のかかったような人生を生きていた。母親の生きる世界の中で仲良く過ごしたかったのだ。

絶望的にどこにもたどり着かない努力とは、このことだろう。

 

安心とルイヴィトンのバッグ

 

家族の中にいたいというのは、私にとってイコール安心したいということだ。でも子どものような両親と一緒にいても、安心できない。私は何をどうしたらいいのか、全く分からなかった。

いつも漠然とした不安や妄想から逃れることができず、他人を羨み妬んでいた。みんなが持っているものが欲しいだけなのに、でもみんなって誰?

人を羨んでばかりでコミュニケーションをとることなどできないから、心を開ける知り合いなどいない。だから私にとってのみんなとは、個人ではなく世間。ひとりひとりの顔は、はっきりしていなかった。

なんとなくだけれど、ブランドのバッグとかを持てば、安心できるのかもしれないと思ったこともあった。興味はないけれど、自分も知っているルイヴィトンのバックとかを持てば、安心が手に入るのかもしれないな、なんて考えたこともあった。

自分で書くのも恥ずかしいのだが、私自身はあまり虚栄心が強いほうではなく、欲望も薄めな性格だ。その分目に見えない気持ちの安定に、かなりのこだわりを持っていた。逆に言えば外側ー服とかバッグとか靴とかお化粧などに強い執着があれば、ある程度気持ちを満たすことができただろう。

現に妹はそっちのタイプで、古着屋でブランドものを見つけて、お金をかけないお洒落を楽しんでいた。両親へ執着が捨てられない私は、妹に「おねえちゃんは、可哀そう」という言葉をかけられていたものだ。

父親との関係が良くないから、実社会での立ち位置のとり方がへたくそ。母親との関係が良くないから、自分以外の人に遠慮してしまう。

どうもうまく終われそうもないので、この話題は次回深堀りしてみようかと思います。

しかし暗いな!

 

 

*1:中国の思想家荘子による夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話