ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

マジでとりとめもないつぶやきーポンコツ日記

あれ、私って存在してたっけ?してると思うんだけれど…。

どうも最近自分が生きているという実感がない。ツイッターには毎日書き込んでいるから、少なくともツイッターの中には存在してるはず。

 

現在私はどこにも所属してない。そんな私の属性は、『がん患者(無職)』とでも言えば、一番わかり易いのかな?それじゃ、あまりに身も蓋もないけどさ。

 

がん患者の私は、つらい時もあるけれどそうじゃない時もある。  

まぁつらい時は、気持ちがとことん落ちてしまうので、本当につらい。ふと「死にたい」なんてつぶやいてしまう瞬間もあったりする。

だからといって、本当に今すぐ死にたいっていうわけでもない。 

「死にたい」とつぶやいてしまった後にちょっと慌てて「積極的にというわけてもないけど」と付け足したりしてみる。

実のところ、生きてる実感がないというのがホンネかな。

 

がん患者の多いツイートの海を泳ぎながら、暗くなったりならなかったりしている。

それなら闘病者がほとんどのツイッターの画面ではなく、インターネットの海をただよってみればいいんじゃない?
そう考えて健康な人たちがほとんどのインターネットの海を泳いでみる。それも楽しいよね。でもしばらくすると私は、違和感を感じる。

 

当たり前に未来を信じている人たちと私の間には、透明な膜があるような気がする。私はその膜ごしに、まるでテレビの画面を見るように、健康な人たちのあれやこれやを見ている。

 

そう、ただ見ているだけ。もうそこには戻れないからね。

 

ここで冒頭にもどるわけだ。
『あれ、私って存在してたんだっけ』
あーヤバい。これでは不健康で、よくないループにはまってしまうよ。

 

こんなときは、TikTokでも見よう✧\(>o<)ノ✧

 

入院当時のメモを振り返ってみたーポンコツ日記

12月17日
大腸がんになって、人工肛門になった。うそだろと言いたいか、本当だ。10年以上頑張って東京で生きてきた。結果がんだそうだ。なんとも言えない。

18日
食事が出るようになって2日目の朝、お味噌汁の、なんというおいしさよ!

「おいしー」 

って叫んだ。白身魚も格別!

   

入院して3日目くらいまで、水も飲ませてもらえず、口をゆすぐのみ。これは本当に辛かった。お腹もぱんぱんにふくらんでいるし。

13日に救急車で運ばれて、腸を機械できれいにしようとしてくれたのだけれどできなかった。なので14日の昼過ぎに開腹手術。人工肛門デビューしたわけだ。

 

16日に、一般病棟に移った。
昨日(15日)に、自分でオシッコに行けるようになった。それまで導尿、動けないまま体に管をつけてオシッコを袋にためていた。
この導尿を恥ずかしがる人が多いらしいけど、私は逆に楽だった。寝てるだけでいいからね。

ちなみに大の方ははまだ、腸に残っているそう。昨日(15日)にかきだしてもらって、明日またかきだす予定。冷静に考えたら、かき出すってグロいよね。

 

娘にやっと会えたけれど、完全グロッキーとなっていた。現在進行形で、泣きべそかいている。仕方ないか。母親が急に倒れて救急車で運ばれ、手術して人工肛門になったんだから。あまりに展開が早すぎる!

 

実家には知らせたくなかったけれど(不仲なので)、手術後に入院を知らせた。妹がハイになって、正月に東京来ると言い出したらしいと娘に聞いた。
娘は妹に(娘からすれば伯母さん)対して、ブーイングというか文句がすごい。
「なんの役にたつっていうの!」
だってさ。それもそうだよね。大体私と妹は、10年近く会ってないくらいの微妙な仲だ。

 

明日退院後支援の話をする予約を取ってある。

微妙な仲の妹より、別れた地方の子金持ちのボンボンで、大学教授の別れた旦那の方が、金と地位がある分役に立ちそうな気がする。連絡を取った方がいいのか?


母が正月にお金を振り込んでくれるそうだ。気が利くタイプの人ではないので、何かトラブルがあるとお金を振り込むという対処方をとる人だったりする。

入院した娘に対して、他に言うことないのか?。弟は連絡なし。

私の爪は、あんまり伸びないーポンコツ日記

深爪してしまった足の爪の伸びが悪い。それは私が抗癌剤での化学療法をしているからだ。

がん患者の私は化学療法のため、抗癌剤のたっぷり入ったボトルを首にぶら下げている。右肩に埋め込んであるcvポートという体に直接点滴ができる装置を使って、ボトルに入っている抗癌剤を体に入れていくというわけだ。

ところで抗癌剤はがん細胞だけではなく、健康な細胞も破壊してしまう。ばかなのかよ、抗癌剤

その抗癌剤の攻撃の影響で、私の皮膚は乾燥してぼろぼろになってしまった。ぼろぼろになった皮膚は、当然のごとく痒くて仕方がない。

対策として、病院で皮膚を保護するクリームを処方してもらい、体中にぬりまくった。そうしたらかなり痒みがよくなったので、ほっとした。

皮膚はなんとかなったけれど、爪はすぐ伸びない。抗癌剤の副作用で、爪も爪の周りの皮膚も弱くなるのだそうだ。だから爪はなかなか伸びなくて、深爪したところがずっと痛い。
病気する前は、こんなではなかった。抗癌剤の攻撃を受けた私の健康でなくなった細胞は、うまく爪を伸ばせない。 抗癌剤治療のための薬が入っているボトルは、2週間おきに3日間首にぶら下げて、体に薬を入れていく治療している。
3日目の朝、目を覚ました私は布団の中で、ふとボトルの存在に気がついて、"なんたろうな?これ "と思った。 まぁ抗癌剤が入っている薬のボトルなんだけれどさ。わかっているのだけれど、それでもなんでこんなもの私の首にあるのかなって、今日はなんとなく思ってしまった。 ま、そんなこと思ってもどうなるわけでもない。朝ということでとりあえず起きて部屋のカーテンを開け、ベランダの窓を開けて外に出ようとして、やめた。 私は毎朝ベランダに出て、朝の光をちょっとだけあびることを習慣にしている。
でも今日はなんとなく、ただなんとなく陽の光が眩しすぎた。

もうそろそろ初夏といってもいいくらいの強い光に、一瞬心が負けたんだと思う。 ボトルを下げている私には、初夏の太陽はあまりに強かった。ボトルをぶら下げている私は、弱々しいステレオタイプのがん患者そのものだ。 なんでそう感じたのかはわからない。
爪すらなかなか伸ばせない自分は、明るいベランダに居場所がないような気がした。それこそ気のせいなんだけれど。 でも、朝からなんだかいたたまれないような気持ちがしたのは確かだった。仕事してないから、ヒマだし。 まぁ仕事どころか、今は日常生活をなんとかこなせるくらいの体力しかないのだから、仕方がないんだろうね。 そのあと朝食を食べて、今に至る。でもやっぱり深爪のところが少し痛い。
 
ちくしょう、早く爪が伸びないかな。
 

2回目の入院時、覚え書きのメモーポンコツ日記

3月20日 16時14分

退院が、明後日に決まった。単純に嬉しい。 前回2ヶ月たっぷり入院したことに比べれば、今回の2週間あまりの入院は短く感じた。ただ抗癌剤の影響で舌が痺れが続いてるのが気になる。

 

売店で、抹茶のお菓子と醤油せんべいを買って食べた。とにかくびっくりするくらい食欲が戻ってきたので、買い食いばかりしている。小学生かよ!

 

 

 

抹茶にハズレ無しと娘がよくいうのだけれど、この抹茶菓子はちょっとパサパサしていて食べると口の中が乾燥するのでイマイチ。

でも醤油せんべいは、美味しすぎ!ついついつまんでは、ボリボリ食べてる。

  

しかも嬉しいことに、以前のようにお腹が痛くならない。まぁ定時に飲む痛み止めは飲んでいるけどね。

この食欲が続くなら、デタラメに落ちてしまった体力も戻るかもしれないと希望を持った。でもぬか喜びはしたくないから、あくまで体力が戻るかも?にしておく。

なんとなくだけど、腸の消化力があがってるんじゃないかな?それなら 少しでいいから、カフェオレとかも飲みたいよ。だって病気になったから諦めたことが、山のようにあるんだから…。せめて食べ物くらい好きなものが食べたいと思う。

当然体のケアはするよ。でも好物の角煮もつくって食べたいし、パンも焼きたい。お好み焼きも食べたい。

そういえばかぎ針でマフラーを編んでいたけれど、入院したので途中で中断してしまった。もうマフラーの季節は終わってしまったけれど、今年の冬の私は編みものができるのだろうか?

できれば娘のために、何かしら編みたい。すぐ要らなくなってもいいから、かたちのあるものを残してあげたいな。  

 

30歳になった娘(現在21歳)に、私は会えるのかしら?正直のところ、自信はあまりない。だから私が確かに存在したという証拠を、山のように作っておきたい。

 

なんだかずいぶん感傷的な文章になってしまったけれど、たまにはこんなポエ厶な文章も、いいんじゃないかな。

2回目の入院が終わって思うことーポンコツ日記

折り合いをつけるとか、つけないとかに関して

1回目の2ヵ月に渡る入院生活の中で、つらつらとあーでもない、こーでもないと頭と心のあちらこちを使って、現状をこねくり回していた。
感情側の言い分として言えることは、あの入院でどん底までいったということ。自分が患った大腸がん、しかも肺と肝臓に転移していてステージⅣ(ただし末期ではない)という現実、しかもストーマ(人工肛門)になったことは、普通に考えて、頭がおかしくなるよ。耐えられない。
事実、当時書いたメモにも、"耐えられない"という言葉が、何回も出てくる。抗癌剤治療による副作用のきつさも、それに輪をかけた。大の大人が、まともにトイレもいけなくなるくらい動けなくなるって、まず恐怖しかない。自尊心も傷つくし。 しかし私の性格的に、がんなんかに負けないとかはならなかった。私は勝ち気でも負けず嫌いでもないのだ。 そもそもがんは人じゃないから、競い合うものでもなかろう。じゃ、どう考えたかというと、これまでの自分とは違う人になったんだと思うことにした。それが考え方として、一番着地するのに無難な気がする。ビジネスでいうところの、ソフトランディングってことだね。 今までとは違う人になったんだから、前みたいにあれができない、これができないとか言っても意味がないんだよってね。


なんで違う人になったか? 理由は頑張って数えればいくつもあるんじゃない?体を酷使したとかさ。実際そうだつたし。だから仕方ないとしか言いようがない。どんなにわめいても、過去に戻れるわけもないし。

ただ胸の中にどうしようもなくわきあがる、寂しい気持ちは持ち続けておこうと思ってる。マイナスの感情とはいえ、その寂しさは私のもの、私だけのものだから。それでいいんじやないかな。今のところ。

もうすぐ2回目の入院をするーポンコツ日記

2月も終わりに近づいている。私が何をしているのかいうと、何もしていない、のかな?どうなんだろう。

格好つけてるわけでもなく、頑張って生きてますよ、とでも書けばいいのかな。

 

先日病院に行ってきた。担当医と再会し彼に、元気そうですね、良かった。では2回目の入院の日取りを決めましょう(*_*)ということになり、その場で2回目は3月の某日ということになった。はやっ!

   

入院の前日にはPCR検査をして、問題なければ次の日に入院だそうだ。その後別室にて、今度の入院に関して看護師さんからのレクチャーを受けた。

前回の入院が、救急車で運び込まれるからの、なしずし入院(という言葉はないかもしれないけれど)だったので、日を決めて入院というやり方が、やけに新鮮に感じてしまう。 

トータル2ヶ月くらい入院したが、その間動けるときは、ひたすら病院の中をウロウロしていた。そんな私は、あくまで中の人といったらよいのか。入院中、外から病院を眺めることなんて一切なかった。ただ入口から病院内にはいるだけでも、なんだか面白かったな。

入院していたのが総合病院なので、診療時間内に行くと、何とまぁ大勢人がいることいることいること!入院中は診療時間外にコンビニへ行ったりしていたから、掃除や警備の人が数人なんて光景を見ることも多かったなぁ。人の増減に関しては、時間で極端に違いがある。

病院のオンとオフといったらいいのか、病院の全く異なる面を見たなぁという気がしたね。

 

家では、できる範囲て家事をしている。このできる範囲っていうのが問題で、びっくりするくらい体力が落ちたことを自覚せざるを得なかった。

例えば退院したあとの初めての外出の際、自分の歩く速さがあまりに遅くて、呆然としたよ。70歳過ぎたおばあちゃんって感じ。すぐ息切れするし。

数日してその時より多少ましになったけれど、とにかく体力の落ち具合かひどくて、ちょっとの外出が精一杯となった。それに公共機関、電車やバスにで移動するだけで、もうへとへと。あー、私って病人になったんだな。障害者になったんだなと悲しくなった。

病院の中には、当たり前だけれど病人しかいない。だから自分自身が病人であるにもかかわらず、そこまで弱ってる自分を実感していなかった、というか直視を避けていたんだね。

日常生活に戻ると、当然道ゆく人々は歩く速度も早いし、走ったりなんかもしてる。それを横目で見ながら、もう無理だよ、私には走るなんてと思う私。

 

昨日入院中に書いたメモを見返したんたけど、12月末が多かった。その時期は頭も気持ちもかなり混乱していて、メモを久しぶりに読んだ感想は暗い!のひとことにつきる。いやそうなってしまうのもわかるけど。自分て書いた辛気臭く絶望的な言葉が並んでいて、今はちょっと受け付けない感じ。もう少し時間が過ぎたのなら、冷静に読めるのだろうか。

 

なんか今は、ぼそぼそと生きているっていうのが、一番ぴったりくるのかもしれない。

がんになったーポンコツ日記

令和4年12月13日、私は救急車で某病院に運び込まれた。腸閉塞だった。緊急手術で、ストーマ(人工肛門)をつくった。

その後の検査で、大腸がんになっていることが判明した。肝臓と肺にも、転移していた。そのまま入院ということになり、体調を整えながら、がんの化学療法をしていくということになった。

 

まさに怒涛の展開とはこのことだろう。わたしの人生は、その前・その後と表現しようがないくらいに、変わってしまった。

 

思えばそれまでずっと胃と腸の具合が悪くて、近くのクリニックに通いながらちまちまと薬を飲んではいたのだ。それに健康診断でもひっかかつたりしてはいた。しかしここまでの大事になるなんて、考えるてもいなかった。まぁ今になって何を言ってたとしても、後の祭りでしかないんだけどね。

 

がんはステージ4。でも末期ではない。転移していると、ステージ4なんだってさ。知らんかった。

娘には本当に悪いことをした。娘は最初に私が病院に運び込まれたとき医者に呼ばれて、“お母さんは、2年くらいしか生きられないかもしれない”と言われたそうだ。同居している唯一の家族だからね。あとから聞いたのだけれど、娘はパニックになってしまったらしい。そりゃそうだよね。病院側として現状を身内に知らせなくてはいけないけれど、まだ娘は大学生。何が、なんだか分からない。コロナで面会はできない。急にひとり暮らしになる。といった感じだった。

 

私自身は病気のことに関して、全くと言っていいほど詳しい説明を受けておらず、ただひたすら静かに療養しただけだった。

 

12月は私自身の体調が落ち着くのを静かに待つしかなかった。そのころ書いてたメモがあるんだけど、今読むと我ながら追い詰められすぎて可哀想なくらいだった。

というより精神状態がギリギリすぎて、あんまり読みたくない感じ。

落ち着いたらブログに書こうかなんて思っていたけれど、落ち着いた日々なんて来やしない。この文も、パソコンを開くことを諦めて、スマホでポチポチ書いているのが実際のところ。

でもなんとか当時のメモをまとめたいなと思ってはいる。

そして最近の私は、混乱する気持ちをツイッターに書きなぐっている。まさかほったらかしの、ツイッターを再開するとはおもわなかった。

 

ところで私はつい3日前、あまりの入院ストレスで一時的に退院してきたところだ。なんというまとまりのない文章た思いつつ、これが私の現時点での精一杯だったりする。

追記

マックでチキンフィレオのセットを食べた。ずーっと食べたかったんだよ。ジャンクな食べ物を!

実のところ昨日までヘロヘロしていて、お風呂入るのもひと苦労だった。まぁ今でもたいしてかわらないんだけどさ。

食欲が出てきたことが、本当に嬉しい。でも大好きなコーヒーは、まだ怖くて飲めない。カフェオレならいけるか?チョコだって重く感じて食べられないくらいなのだから。

おとつい外に出て歩いた時は、自分の歩きのあまりの遅さに本気でショックを受けた。70歳をとうに過ぎたおばあちゃんのように、おぼつかない足取りだったので。

今日だってあるくのが決して早いわけではないけれど、道ゆく人々になんとかついていけてる、気がする。それだけでほっとするよ。

マック万歳!は冗談だけど、これからも生きていかなくちゃね。このポンコツな私のままで。