頭に綿菓子をつめて生きることはできない
父親との関係が良くないと、社会に出た時の立ち位置がうまくとれない。母親との関係が良くないと、自分を取り巻く世界とうまくいきづらい。
それがやっと理解できたのは、私が40歳をとっくに過ぎたころだった。それまでは、絶望的にムダな努力をしてきた、、、ようだ。
今回は、暗めの内容です。
頭に綿菓子をつめて生きるひとたち
私の母親は、70年以上生きてきた人生のうち一度も実社会で働いたことがない。お金持ちのお嬢さんだったわけでも奥さんだったわけでもないのに。
若いときには親の庇護の下に生き、年頃になったら専業主婦を希望する男性と結婚し、そのまま実社会へ出ずに70歳をはるかに過ぎてしまった女性。
あの人は死ぬまで、少女のように生きるのだと思う。
ものごころついたころから、何を相談してもトンチンカンで検討はずれのことしか返ってこない。優等生キャラの高校生が言うようなことしか答えることができない。狭い狭い世界で生きてきた彼女の人生からすれば、当たり前なんだろう。
父親はもう鬼籍に入って10年以上と経ったけれど、少女のような女性と好んで結婚した彼は、やはり狭い世界で生きた人だった。
当時は子どもで分かっていなかったのだが、私の両親は二人とも、それぞれの親たちから金銭的にかなり助けてもらいながらでないと、生活が成り立っていなかったようだ。
つまりは二人して、頭に綿菓子がつまったような、おままごとみたいな結婚生活を送っていたということ。
当時の私は親と一緒の世界に生きるため、現実をしっかり認識せず頭を少しぼんやりさせながら、ふわふわと生きていた。そうすることで、同じ家族として両親の仲間に入れてもらっていたのだ。
そして私は、奇妙な妄想が頭の中から離れなかった。私の今生きている現実は誰かの見ている夢で、誰だかわからないその人物が夢から覚めて目を開けたなら、ここにいる私はあとかたもなく、消えてしまう。まさに胡蝶の夢に近いようなことを本気で疑っていた。
両親と同じ世界で生きる可愛い娘でいるためには自分もぼんやりしていないと、少女のような母親を追い越してしまう、見捨てられてしまうと本気で信じていたのだ。
今思えば追い越しても良かったのだけれど、当時はかたくなに霧のかかったような人生を生きていた。母親の生きる世界の中で仲良く過ごしたかったのだ。
絶望的にどこにもたどり着かない努力とは、このことだろう。
安心とルイヴィトンのバッグ
家族の中にいたいというのは、私にとってイコール安心したいということだ。でも子どものような両親と一緒にいても、安心できない。私は何をどうしたらいいのか、全く分からなかった。
いつも漠然とした不安や妄想から逃れることができず、他人を羨み妬んでいた。みんなが持っているものが欲しいだけなのに、でもみんなって誰?
人を羨んでばかりでコミュニケーションをとることなどできないから、心を開ける知り合いなどいない。だから私にとってのみんなとは、個人ではなく世間。ひとりひとりの顔は、はっきりしていなかった。
なんとなくだけれど、ブランドのバッグとかを持てば、安心できるのかもしれないと思ったこともあった。興味はないけれど、自分も知っているルイヴィトンのバックとかを持てば、安心が手に入るのかもしれないな、なんて考えたこともあった。
自分で書くのも恥ずかしいのだが、私自身はあまり虚栄心が強いほうではなく、欲望も薄めな性格だ。その分目に見えない気持ちの安定に、かなりのこだわりを持っていた。逆に言えば外側ー服とかバッグとか靴とかお化粧などに強い執着があれば、ある程度気持ちを満たすことができただろう。
現に妹はそっちのタイプで、古着屋でブランドものを見つけて、お金をかけないお洒落を楽しんでいた。両親へ執着が捨てられない私は、妹に「おねえちゃんは、可哀そう」という言葉をかけられていたものだ。
父親との関係が良くないから、実社会での立ち位置のとり方がへたくそ。母親との関係が良くないから、自分以外の人に遠慮してしまう。
どうもうまく終われそうもないので、この話題は次回深堀りしてみようかと思います。
しかし暗いな!