ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

娘がそこそこ長い家出から、帰ってきた話

今年もおわりに近づいてきた。自分に起こった出来事として一番のニュースは、なんと言っても”一人娘が一年半の間家出から帰ってきた”がぶっちぎりだろう。

ところで家出として一年半は長いのかな?

 

母性本能とか、くそくらえ!

 

昔から母性本能とか、子どもへの無償の愛とかが全然理解できなかったし、今もできない。無償の愛を注ぐのは、相手が保護すべき対象である場合だと思う。なんとなく小学校の低学年くらいまで?それ以降は一人の人間として接していった方がいいんじゃないかと思っている。まあその結果、高校生の娘は本人判断で家出したのだけれど。

 

行き先は、実家

 

家出先は実家、娘からみて祖母の家だった。場所が分かっているなら、そこまで深刻ではないのかもしれない。しかし私は娘が出て行った日から彼女が私に連絡を取ってくるまで、ずっと何もしなかった。

私と娘は、まともに会話が成り立たないくらいひどい状態だったので。

 

反抗期の女の子と暮らすのは、きつい。しかも我が家は母子家庭。家の中ではあいだに入ってくれる人物などいない。お互い引けなくなって、怒鳴り声が飛び交う。ただし親は子どもにとって絶対的な権力者なので、どうしようもないくらいに険悪な時は、親の私が外に出て熱くなった頭を冷やしていた。それも度重なるとお互いにどうすることもできずにわあわあ泣きながら叫びあっていたんだけれど、ある日机の上に、宅急便の着払い伝票が置いてあった。

「ん?もしかして」と思いながら黙っていたら、クリスマスの翌日に、娘はまとめた荷物を宅急便で送って家からいなくなった。

雪解けは、今年の4月

突然住民票を移すから、と電話があった。いなくなってからほぼ一年半たっていた。最初娘はビクビクしていたが、私が普通の態度で話に応じたため、なんとなくお互いの近況を報告しあった。以前二人のあいだにあった問題が解決したわけではなかったが、一年半たってみたら、怒鳴りあいにはならなかった。時間薬とは、よくいったものだ。

その後、ライン電話に移行して、2時間くらい話したんじゃないかな?次の日も話したような気がする。あんなにも話が成り立たなかったのに、私たちは連絡を取っていなかった一年半を埋めるように、何時間も何時間も話し続けた。

二週間くらいそれが続いて「一度こちらに遊びにおいで」となり、娘は一年半ぶりに親の私のところに来た。久しぶりの対面時には、お互い緊張しぎこちなくなってしまい、内心面白かった。その時は三週間一緒に暮らした。お試し同居っていうわけ。

それが思いのほか上手くいったので、夏前にまた娘と一緒にくらすようになった。

正直もう帰ってこないかもと思っていたので、最初に生活上のルールを話し合って、それでも時々ケンカをしながら暮らしている。

 

家庭平和は双方の歩み寄りでなりたつ

 

娘が私に自分から謝るようになったので、もう怒鳴りあいはしていない。私も娘から指摘されたら、できるだけ素直な気持ちでうけいれるように努力している。