だらだら日記ーものごとはどこから見るのかが重要
8日
謎の誕生日プレゼントとおまけが届いた件について
昨日、実家の母親から、一週間遅れくらいの娘の誕生日プレゼントが届いた。
なんというか、見事に変なセンスのアクセサリー、そしてなぜか娘の私あてで、おまけみたいにブラウスがはいっていた。もちろん私自身は、何も頼んでいない(おまけブラウスの件)。
根本的な問題として、娘はおばあちゃんに誕生日プレゼントが欲しいと言ってない、つまり何も頼んでいないってこと。要は勝手にプレゼントか送られてきたわけ。
起こったことをまとめると、おばあちゃんは娘本人の希望を一切聞かず、勝手に立案・企画した誕生日プレゼントが、サプライズで届いた、である。
この件に関して、娘は最初から最後までショックを受けてしまい、慰めるのが大変だったよ。何も希望を聞かれていないこと、勝手にブツが送られてきたこと、そのプレゼントの中身とおまけ、その後(しぶしぶかけた)お礼の電話の際のおばあちゃんの言い分、とにかく全部!ぜーんぶ!
娘はオブラートに包みながら、アクセサリーが自分の趣味ではないし、そもそもデザインが若い子向きではないこと。ブラウスも、私(母親)に似合わないと伝えたが、そんなことで怯む彼女ではない。
「あらそう!真珠のネックレスの方が良かったかしら?ブラウスがいらないなら、あなたの友達にあげればいいんじゃないの?」で終わったそうだ。
娘としては、なら冠婚葬祭に使える真珠のネックレスでいいじゃん!しかも友達にブラウスをあげればいいって一体どういうこと!だそうだ。
実のところ長い付き合いの私からしたら、おばあちゃんことわが母の暴走は、笑っちゃうくらいの通常運転でしかない。彼女はいつもなんにも考えず、その時思ったことを思ったようにする。こちらの意見は、ないも同然!なんとか思っていることを伝えようと頑張っても、半分どころか伝わったためしなどない。
しかしプレゼントをもらった本人(娘)にとって、この件はどうにも理解し難く、受け入れられない出来事だったらしい。
私はこれまで母親であるあの人から、そういうとんちんかんな扱いしか受けたことがなかった。だから現在は、意識的に彼女と距離をとっている。それでも娘には優しいおばあちゃんなので、私のように距離をとることを強要していない。だから時々、おばあちゃんから娘に電話がかかってくる。
今回の誕生日プレゼントで娘がショックを受ける姿は、私にとってけっこうな衝撃だったな。私、なんかいろいろ麻痺してる?
誕生日プレゼントというより娘と私の温度差がありすぎる件に関して、もう少し冷静に考えてみたほうがいいのかもしれない。
だらだら日記ーこだわりにはじまり、マックのコーヒーで締める日曜日
11日
日曜日だ。正確に言えば、現在土曜日の夜12時過ぎたところ。
なーんてのんびりしていた私だったけれど、その1時間半には娘の生理痛による激痛(年一回くらいの頻度で起こる、痛さのあまりゲロをはいてトイレでぶっ倒れる)のケアで、大慌てだった。
娘は夏休みの終わる直前にめいっぱいスケジュールを詰め込んだためか、一段落ついたとたんに気が抜けて体調がガタガタになったらしい。30分くらいで体調は落ち着いたので、ほっとしたよ。
娘の夏休みの後半のスケジュールほ、昼はアルバイト、夜はインターンシップで行うイベントの打ち合わせ。その合間をぬって自分がもうすぐ参加予定のコミケ(夏に開催されるものではない、もっと小規模なイベントとのこと)に出す漫画の執筆と大忙しだったみたい。
10日ほど前にインターンシップで計画したイベントが終わったので、それからは本格的に昼夜逆転しながらも漫画をひたすら書いて、印刷所に入稿して、コミケ用のポスターを朝まで書いて、それが終わった次の日の夜に安心したのか、娘はバタンと倒れたのだった。
大丈夫かなあと心配して時々声をかけて、ちまちまかまっていたけれど…。
特に漫画は私が感心するほどで、彼女は高校生の時に初めてコミケに参加した時から、本を定期的に出すということにはひたすら真剣に取り組んでいるのですよ。
本人は漫画のテーマに関してが、一番大事!でもパソコンで塗った色が実際印刷すると実際どう出るのか、ページ全体の流れとバランス、本の表紙、裏表紙、コミケ当日のブース設営、知り合いサークルへの挨拶で渡すおみあげまで、微に入り細に入り自分なりのこだわりがあるらしい。このたぐいの完璧主義な面は私が全く持ち合わせていない部分なので、素直に尊敬している(こだわり方が別れたダンナに似てて、私には本気で理解できない)。
2人とも3時近くなってから寝た。私は昼ごろ起きたけれど、夕方近くになって起きた娘はまあまあ元気になっていた。ひと安心。2人でとりとめもなく話しながら、娘にこれからは人に任せられる部分は任せてみたらと言ってみた。娘はそれもそうだね、その方向で考えてみるよとのこと。
以前の彼女は集中して必死の時は、キーっとなって手がつけられなかったし、意見そのものを言われることが受け入れられなかった(完璧主義なので)。でも最近は、落ち着くと話し合いができるようになった。親としては成長したなあとしみじみ。
日曜日の夜8時すぎ、マックでくつろぐ。日曜日もそろそろ終わりに近づいている。
マックのアイスコーヒーを飲むと、美味しいとか不味いとかではなく値段に見合ってるなあと感じる。もっと美味しいコーヒーか飲みたければ別のところに行けばいいんだから(断じてマックをディスっているわけではありません。マックの関係者がいたらごめんなさい)。
夜中のバタバタを締めるのは、日曜日のマックのゆるゆる感が、よく合うのですよ。
2月のジェットコースター~今は8月
2月はジェットコースターにのっているかのように、めまぐるしく終わった。
・娘の合格発表
・それに伴う、入学手続き(奨学金の手続きも含む)
・自分自身の転職活動
・8月の私(現在についてー放送大学と私)
思ってより心身に負担がかかったようで、胃と腸にストレスが、、、病院でもらった薬をせっせと飲みながら生きていた。
娘の合格発表
ありがたい事に(まぁ本人も頑張っていたので)娘は第一志望の大学に合格しました。
1年半近い家出のため合計2年の浪人生活を送った娘は、あとがない!と一番プレッシャーを感じていたらしい。本人も年末くらいから、ピリピリどころじゃない日々をおくっていた。
推薦と違って一般入試は当日のできが全てなので、一番近い他人である親の私は環境を整えて励ますくらいしか役にたてない。試験が終わった時点で娘はいける!!という手ごたえが感じたと言っていたけれど、はらはらしながら見守りつつ発表まで二人で緊張していた。
それに伴う、入学手続き
要は、金の算段である。奨学金の申請は済ませていたが、まぁ貧乏な母子家庭なので金の用立てが当初の予定と違ってしまい、色々面倒くさいことが起こった。わかってはいたものの、受験とお金は切っても切り離せない。
自分自身の転職活動
前々から考えてはいたのだが、業種ではなく職場を変わりたいなーと。受験が終わって数日したところで、なぜか突然振って沸いたように知り合いから転職のお誘いがあった。これ幸いとばかりお誘いにのって、職場を変わりましたね。
繰り返すが2月(3月もかな)は、まるでジェットコースターに乗っているような日々だった。それまでなんのかんのいっても、ダラダラとこの代わり映えのしない日常が続くような気がしていた。でもものごとが変わるときには一気に変わるものなのだなと驚きつつ、私はそのジェットコースターに乗ったわけだ。
8月の私(現在について)
なんで2月はなんたらと書き出したかというと、ブログを更新しようとしてうだうだ書いていた文章が残っていたのをそのまま続けて書いたから。そして現在8月の私は、真夏の暑さにやられながらも、放送大学の講座をちまちまを聴く生活を送っている。娘の受験生活がやっと終わったので、以前勉強していた心理学の学士を取るための続きを再開した。ちんたら続けていても終わらないと考えて、10教科まとめて申し込みをした(まだ7教科しか単位がとれていないので)。
あーもしかしなくても大変じゃん。やめときゃよかったかもと後悔しながら、授業を聴いている(学生になる手続きをすませたので、インターネットで講義を聴くことができる)。
きれいごとではなく、年をとるのも悪くないのかもしれないという話
年齢をとることで、失うものは大きいだろう。でも得たものはあるなと感じた。
ロシア・ウクライナ問題に関係あるようなないような
土曜日に昼過ぎまで寝ていた娘を起こすため、娘の部屋の戸をノックして中に入った。半分寝ぼけている娘に声をかけたら、「昨日あまり眠れなくて」という。話を聞いてみると、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことにショックを受けてツイッターで情報収集をしていたら、よけい眠れなくなったそうだ。
まぁタイムリーとも言える話題。
この問題に関しては、ネットでは人々が様々な意見を表明している。しかし私は自分自身にたいした知識がないので、静観しているのが現状だ。不安を感じないと言えばうそになるけれど、とにかくロシアとウクライナの歴史上の関係もきちんと把握できていないし、国際情勢だって分かっていない。ないないずくしの人間に、まともな意見を出せるとも思えない。娘には、こんな感じのことを言った。しかし娘は、「自分は平和ボケしていた」という。ものごころついて初めて、国が他の国に軍事侵攻することを見たという事実に、けっこうに大きいショックを受けたとのこと。
娘と話していたらアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる9.11からもう20年たったことに気が付いた。ハイジャックされた旅客機がワールドトレードセンターに突っ込む映像には物凄いショックを受けたよ。比べてどうこうということではないけれど、それなりに長く生きていると、悲しいことだが何度か世界を揺るがすような出来事を見ざるをえなくなる。そんな話もした。
世界は美しくないと知った日
私が一番驚いたできごとは、なんといっても1995年に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件だ。20代の多感な時期だったこともあって、世の中にはこんな悲惨な事件が起こることもあるんだと、本当にショックを受けたし、裁判の行方も注意していた。
私はあの日、人間という生き物はどんな恐ろしいことでもやってのけるのか!と初めてはっきりと知ったんだと思う。これは娘が生まれる前の出来事で、彼女にとっては、教科書という紙の上でしか知らないことなんだ!当たり前なはずなのに、あれは昔の事件なのかと軽く衝撃を感じた。
年をとるということ
今回のロシアの軍事侵攻に関して、私が娘が感じたほどのショックを受けていないのは確かだろう。たんに年をとることで、感性がにぶくなっているのかもしれない。しかしそれだけではなく、長く生きていると色々なことを見たり聞いたりする。
「世界は美しくないし、人間は自分の欲望を満たすためならたいていのことをやってのける」という事実を、悲しく静かに見つめることができるようになのかもしれない。
「正しくても正しくなくても、人間は生きて死んでいくんだよ」と言ったら、娘は少しだけ落ち着いたらしい。
ロシア・ウクライナに関係なかったです。
娘がそこそこ長い家出から、帰ってきた話その2ー裏ではこんなことが起こっていた
この記事に関して、実は娘がこっち(東京)に帰ってきた理由は、大学受験のやり直しだったりする。
娘を実家のマインドコントロールから遠ざけた
ギスギスと音がきこえそうなくらいの雰囲気の中で、娘の現役受験の際はあまりの成績の悪さから、卒業が10月半ばまではっきりしなかった。当然どこにもうからず浪人決定。しかもなぜか私の知らない間に、某美大を記念受験していた。
その後娘は12月に実家へ家出、高校の卒業式は実家から直に出席し、そのまま私と会わずに帰っていった。
親の私は卒業式へは、出席していないです。娘からの来るな!という明確な意志を感じた。(卒業式に出席するため、東京ではカプセルホテルに泊まったとのこと)
次の年に何も連絡がないまま、娘は実家で受験した。しかし娘からみたおばさん、つまり私の妹が娘の受験を完全コントロールという名の洗脳状態に持ち込むという事件が起こり(後から知った)結果、2年目の受験も不本意に終わった。
2年続けての受験失敗に実家の人々も娘も放心状態になりつつも、なぜか親の私と縁を切ろうとしてきた。その手続きのため娘のおばあちゃん、つまり私の母から逆切れから始まる電話がかかってきたのが4月。
なんだか分からないまま母をなだめすかして(あのときは今にも電話を切られる勢いで、あせったあせった)私におびえる娘に代わってもらって、一年四か月ぶりに言葉をかわしたというわけ。
その後ライン電話に移行して、一時間くらい話したと思う。私の知らないところで、受験にからんだ妙な何が起こっていたらしい。らしいがその時はそこまで分からなかった、
次の日も話しをして、みたいな感じでお互いおそるおそる普通のコミュニケーションをとりはじめたというわけ。
妹が黒幕、というかおそろしや「中年の危機」*1
私の妹は兄弟の仲でも抜群にIQが高く賢い、はずだった。だったんだけれど、40半ばになってどうやら変なことになってしまったみたいだ。みたいだとは、妹と受験に関して直接言葉をかわしておらず、娘からのまた聞きだから。
妹を信用して娘の勉強をまかせていたのが裏目にでまくった。
妹は娘を塾にもいかせず自分で勉強を教え、受ける大学も娘の希望や実力を半ば無視するかたちで何もかも進めていた。
全てがだめというわけではない。基本的な勉強はみてくれるのだが、実家では「その決定は、本人ではなくあなた(妹)の考えだよね」のおしつけを娘に強いており、もう洗脳とはこのことか!状態。
妹には悪気が全くないんだろう。しかし妹は実のところ仕事もうまくいってないし結婚もしておらず、もちろん子どももいない。話しを聞けば聞くほどおそらく妹は、「中年の危機」の状態にあるようだ。
満足のいかない現状を、娘つまり彼女からすると姪に、ぶつけたのかなと感じた。
結果が受験の失敗。娘に責任がないなどとは決していわないし受験が成功していれば問題ないというわけでもない。しかし妹は外部の情報をなるべくいれないようにして、私たちの母を巻き込んで私(母親)を共通の敵とみなし(これに関しては明確な悪意があったと思う)、自分(妹)に依存させるようにしむけていたのだ。
その時はそこまでわかっていなかった。でも「なんか変なかんじ」という自分自身の直感にしたがって、いろいろなスキをつきながらも娘を東京へと遊びに誘い、実に1年半ぶりの対面をすることができた。
しかしながら、実は現時点(1月23日)、受験は終わってないのですよ。あー、早くどこかに進学が決まって欲しいでござるよ!
頭に綿菓子をつめて生きることはできない
父親との関係が良くないと、社会に出た時の立ち位置がうまくとれない。母親との関係が良くないと、自分を取り巻く世界とうまくいきづらい。
それがやっと理解できたのは、私が40歳をとっくに過ぎたころだった。それまでは、絶望的にムダな努力をしてきた、、、ようだ。
今回は、暗めの内容です。
頭に綿菓子をつめて生きるひとたち
私の母親は、70年以上生きてきた人生のうち一度も実社会で働いたことがない。お金持ちのお嬢さんだったわけでも奥さんだったわけでもないのに。
若いときには親の庇護の下に生き、年頃になったら専業主婦を希望する男性と結婚し、そのまま実社会へ出ずに70歳をはるかに過ぎてしまった女性。
あの人は死ぬまで、少女のように生きるのだと思う。
ものごころついたころから、何を相談してもトンチンカンで検討はずれのことしか返ってこない。優等生キャラの高校生が言うようなことしか答えることができない。狭い狭い世界で生きてきた彼女の人生からすれば、当たり前なんだろう。
父親はもう鬼籍に入って10年以上と経ったけれど、少女のような女性と好んで結婚した彼は、やはり狭い世界で生きた人だった。
当時は子どもで分かっていなかったのだが、私の両親は二人とも、それぞれの親たちから金銭的にかなり助けてもらいながらでないと、生活が成り立っていなかったようだ。
つまりは二人して、頭に綿菓子がつまったような、おままごとみたいな結婚生活を送っていたということ。
当時の私は親と一緒の世界に生きるため、現実をしっかり認識せず頭を少しぼんやりさせながら、ふわふわと生きていた。そうすることで、同じ家族として両親の仲間に入れてもらっていたのだ。
そして私は、奇妙な妄想が頭の中から離れなかった。私の今生きている現実は誰かの見ている夢で、誰だかわからないその人物が夢から覚めて目を開けたなら、ここにいる私はあとかたもなく、消えてしまう。まさに胡蝶の夢に近いようなことを本気で疑っていた。
両親と同じ世界で生きる可愛い娘でいるためには自分もぼんやりしていないと、少女のような母親を追い越してしまう、見捨てられてしまうと本気で信じていたのだ。
今思えば追い越しても良かったのだけれど、当時はかたくなに霧のかかったような人生を生きていた。母親の生きる世界の中で仲良く過ごしたかったのだ。
絶望的にどこにもたどり着かない努力とは、このことだろう。
安心とルイヴィトンのバッグ
家族の中にいたいというのは、私にとってイコール安心したいということだ。でも子どものような両親と一緒にいても、安心できない。私は何をどうしたらいいのか、全く分からなかった。
いつも漠然とした不安や妄想から逃れることができず、他人を羨み妬んでいた。みんなが持っているものが欲しいだけなのに、でもみんなって誰?
人を羨んでばかりでコミュニケーションをとることなどできないから、心を開ける知り合いなどいない。だから私にとってのみんなとは、個人ではなく世間。ひとりひとりの顔は、はっきりしていなかった。
なんとなくだけれど、ブランドのバッグとかを持てば、安心できるのかもしれないと思ったこともあった。興味はないけれど、自分も知っているルイヴィトンのバックとかを持てば、安心が手に入るのかもしれないな、なんて考えたこともあった。
自分で書くのも恥ずかしいのだが、私自身はあまり虚栄心が強いほうではなく、欲望も薄めな性格だ。その分目に見えない気持ちの安定に、かなりのこだわりを持っていた。逆に言えば外側ー服とかバッグとか靴とかお化粧などに強い執着があれば、ある程度気持ちを満たすことができただろう。
現に妹はそっちのタイプで、古着屋でブランドものを見つけて、お金をかけないお洒落を楽しんでいた。両親へ執着が捨てられない私は、妹に「おねえちゃんは、可哀そう」という言葉をかけられていたものだ。
父親との関係が良くないから、実社会での立ち位置のとり方がへたくそ。母親との関係が良くないから、自分以外の人に遠慮してしまう。
どうもうまく終われそうもないので、この話題は次回深堀りしてみようかと思います。
しかし暗いな!
とりあえず、更新
前回の更新からずいぶん時間がたってしまい、もう面倒くさいからほっとけばいいかなーなんて考えていたのだが.....。
嬉しいことに更新が滞っている現在でも、ブログ訪問者や読者登録をしてくれる方というのが、時々存在している(感謝)。
で、現時点において書けることも書けないこともあるのだが、養育費の調停に関しては先月決着がついたことを記しておきたい。相手、つまり娘の父親は、現在ある道で成功をおさめているので、養育費としては妥当な額を月々振り込んでいただけることになった。ただし面会に関しては、いまだもめているのが事実。
それから最近一番注目しているニュースとして、2020年度にスタートする高等教育無償化制度がある。5月に成立したばかりの制度だが、2020年4月から実施されるため、うちの娘はその恩恵にあずかることができそうだ。正直ありがたいとしかいいようがない。
ここ数年の私は、子ども教育費のことが大きく大きく心にのしかかっていた。うちの娘は成績がいいわけでも聞き分けがいいわけでもないに加えて、頑固で自分を曲げないタイプの人間だ。私と娘の性格を比べると、親である私の方が柔軟性があるんじゃないかと思う。
彼女にはやりたいことがたくさんあるのだけれど、彼女自身の体力や学力がともなわない部分があって、国公立大学はとても無理!というのが現状だったりする。私立大学で行きたい所を見つけたけれど学費の問題がのし掛かっていた。親である私が稼げればいいんだけれど、実力不足でそれもなかなか上手くいかず.....。こういったことから彼女の父親に対して養育費の調停を申し立てたというのが実情なのだ。
高等教育無償化のニュースに関しては色々物議をかもしているようだが、我が家にとっては素晴らしいニュース!これから母親として、受験のサポートに全力を尽くしていこうと決意している。