怖い絵ーエドヴァルド・ムンクの「思春期」
怖い絵という本のシリーズがある。作家でドイツ文学者でもある中野京子さんという方が著者で、彼女はこの本を通じていくつもの西洋絵画を紹介している。
どの絵も、美しかったり素晴らしかったりする。ただし怖い絵というタイトルのとおりに、この本は絵画の紹介するだけではない。中野さんは、絵画の持つ歴史的な背景や秘められたドラマを解説してくれるのだ。
ムンクの「思春期」が、この本の中で解説されている。一般的にムンクと言えば、「叫び」が断トツに有名だろう。私自身もムンクは「叫び」を描いた画家、くらいしか知らなかった。現に私は、彼のエドヴァルドという本名すら知らなかったのだから。
この絵の個人的な感想として、描かれている少女女の心が、まるで引き裂かれているようだと感じた。見開いた目と私の視線を合わせると、鑑賞者を拒絶するような雰囲気が作品から伝わってくる。
いまいる場所に、うまく馴染めていない少女。現実を拒絶しているとでもいうのだろうか。この絵はタイトル通りに、思春期の少女をそのまま写し取ることに成功した作品なのだろう。
エドヴァルド・ムンクは、ノルウェー出身。表現主義*1の創始者と言われている。彼は30代で、この作品を描いている。というより我々に知られているようなムンク作品は、ほとんど30代に描かれているとのことだ。
ムンクの家族は彼が若い時期に、次々と病にかかったり亡くなったりしてしまった。
彼の人生には常に死の匂いがつきまとい、その昏い影につかまらないために彼は絵を描いた。戦いに疲れた彼か45歳で自ら精神病院に入院を決意するまで、精神のバランスを欠いた日々は続いたらしい。
入院という決断が功を奏し、ムンクは心身の健康を手に入れた。けれども皮肉なことに、彼は代わりに画家としての煌めきを失ってしまった。
一般的に人間の才能とは、人よりも優れた部分だと考えられている。突出したデコボコのデコの部分を、人々は才能と言っているイメージ。しかし私は歳を重ねるにつれ、才能とはデコー突出した部分ではなく、ボコー欠けた部分なのではないかと考えるようになった。
他人が当たり前に持っているものを持っていないがゆえ、必死になって人がやらないオリジナルな努力をすることで、特別な何かを手に入れる。
ある人物が当たり前の日常を過ごすマニュアルを持っていないのならば、その人が持っている何かを使って、人生を生きようとするんじゃないかな。
天才ではなくなったムンクは、退院後平凡な人になって81歳まで生きた。当時も今も平凡な人になったムンクの才能を惜しむ人は多いかもしれないけれど、私はムンクが周囲の人々にエドヴァルドと呼ばれながら、穏やかにその後の人生を終えたのではないかと思っている。