続・父親に本を捨てられた話
思い出したことがあったので追記を書こうと思ったのですが、意外に長くなりそうな予感がしたので、続編にしてみました。
前回に記事では、本を捨てられた時にたまたま窓が開いていたと書きましたが、
それは記憶違いで窓は閉まっていたことを思い出しました。彼が窓をガバっと開けて、本を投げ捨てたのです。窓を開ける時に割と大きな音がしたのを思い出しました。
それと同時に、もしかしたら彼が窓を開けたこと自体が自分の思い込みかもしれないとも考えました。
本を捨てられたことは事実ですが30年近く前の話なので、その時にどうだったこうだったなんて、実は誰にも証明できないということです。それにおそらく今でも父親が生きていたと仮定して(ビックリするほど気の滅入る仮定だ)彼は私の本を捨てたことをきっと覚えてもいないでしょう。そこは確信がありますね。
彼が子供部屋に突然入って来て、彼のイメージ通りのことをしていないと(勉強)頭を引っぱたいて、去っていくというのがお決まりのパターンだったので、(何か彼なりに色んな設定があったらしいのですが、エスパーじゃないから察するのはムリ!でもそれは通じない)私自身も様々なことをごちゃ混ぜにして記憶している可能性が考えらると思います。基本、どの記憶も全部楽しくないことばかりでしたが。(監督父親、脚本父親、しかもスゲーつまんない脚本をスゲー才能のない監督がとるドラマって感じ、鶴瓶のスジナシを素人がまねてやってるみたいな)
でも父親の死とともに、全部終わったんですよ。だからこんなにも思い出し作業ができるし、どうだったかな?こうだったかな?なんて言っていられるのでしょうね。10代とか親がまだ元気いっぱいでホントーにいろんなことが嫌だったけれど、それを思えば年をとることも悪くないなと思います。責任も増えてなかなか大変だけれど、大人になったら“親のイメージにあう子供”をしなくてもいいからね。
あ、スジナシは好きですよ。最近は見ていないけれど。鶴瓶はアドリブに強いから、鑑賞に堪えうる作品が出来る。けれど素人さんは、そういう即興劇に手を出すもんじゃないですよね。(まぁそもそも死んでるから聞こえないんだけれど)