ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

父親に本を捨てられた話

最近更新が全くできていないのが気になっています。

実はランサーズでトライアルの記事が通って小さい仕事が貰えたので、10日間くらいちまちまライターをしていたのですが、何しろ初めてのことが多すぎて全部の勝手が分からずに、何もかも倍どころか4倍くらいの時間がかかってしまって、他のことが出来ずじまいでした。

まぁそれは良しとして

 

しばらく前からよく見るようになったブログがあるのですが、内容もさることながら、そのブログの絵に惹かれています。

rikoriko.hatenablog.com

 このrikorikoさんという人の絵です。彼女は本人もブログで言っているように、不気味な印象を受ける絵を描きます。魚やフクロウを描いた絵なんかは、どこか異世界を思わせるので、ちょこちょこコメントを書いたりしています。彼女はセルフカウンセリング的な意味で絵を描いているとのことです。

私が特に気になったことがあって、それは彼女は人物の絵を描くと棒立ちになってしまうそうです。理由は書いていなかったのですが、それが私の中で、なぜかある連想を呼び起こすことに気がつきました。

 

むかーし私がまだ17歳の時、マルグリット・デュラスというフランスの作家に夢中になっていました。彼女が自伝的な意味も含めて書いた「愛人(ラ・マン)」という本があり

 

愛人(ラマン) (河出文庫)

愛人(ラマン) (河出文庫)

 

 ハードカバーの高校生には少々お高い本を、大切にしていました。(多分初めて買ったハードカバーの本。表紙がデュラスの若い頃の写真でとてもムードがある)

ある日父親が突然部屋に入って来て(彼はいつも突然入ってくるので)私の本を見た(読んだではない)瞬間、部屋のたまたま開いていた窓から本を捨てました。そして部屋を出て行きました。まぁそれだけなんですが。

その時彼が何と言っていたかも私自身がどう思ったかも、実ははっきり覚えていないのです。急いで下に降りて、本を拾ってついてしまった土をはらったような.....。

父親はおそらく“部屋で勉強をしないでエロ本を読んでいた”とでも思ったのでしょう。本の表紙の少女は非常に魅力的でもあったし、彼は性というか少しでも色気を感じさせるもの全てに対して、異常に攻撃的な部分を持っている人だったので。

でも「愛人(ラ・マン)」は本当に“そういう本”ではないのです。貧乏な白人の少女と、裕福な中国人男性の絶望的に先のない、決してお互いの間に生まれた恋を認められずに終わってしまった関係を書いた話です。当然父親には説明する間もなかったし、そもそも彼は私がどんな本が好きかなんて興味はなかったと思うけれど。

rikorikoさんの絵を見ていたら、ふとその時のことを思い出しました。正確に書くならば、そういうことがあったな、と連想させられたのかな。

本を捨てられてしまったのに何もできず、呆然としたまま棒立ちになってしまった私。自分で思っていたよりもずっとそのことは嫌な思い出だったらしい。

勿論rikorikoさんの絵を見るとショックを受けるではなく、むしろ「私、本を捨てられたのが、本当に嫌だったんだな」と改めて自分の当時の気持ちを大人の私が理解し、受け止めたということですね。そのことをまるごと心に深く沈めて忘れていたことを思い出したのです。

ある時から私の父親に対する気持ちが淡々としたものになったのですが、そのきっかけになった出来事が、この本にあるということが分かりました。

これ以上自分の気持ちを掘っても大したものは出てきそうにありませんが、人間は案外色々なことを覚えているもので、上手いこと忘れたふりもできるものなんだなぁと感心してしました。

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

id:rikorikoさんの記事を引用させてもらいました。彼女の絵を見ると、絵が描けるっていいなと思います。