ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

白い世界地図についての話

ここのところ色々忙しくてブログの更新をさぼり気味だったので、ちょっと気合いれなくては...。

 

私の趣味としては読書という大きい柱があるのだけれど、ここ1,2年その読書に妙な傾向が出てきている。その傾向というのは、特に楽しくもないのだけれどこの本読んでおいた方がいいかな、ということで読んでいる本だ。

一般的に趣味というと楽しいから続けるのが当たり前のはずだが、「あれ、何で私はこんな難解なことが書いてある本を読んでいるのがろうか?まぁいいか」と一人でブツブツ言いながら読んでいたり、本によっては読めずにギブアップしたりしている。

 

動乱のインテリジェンス (新潮新書)

動乱のインテリジェンス (新潮新書)

 

 佐藤優さんと手嶋龍一さんの対談本。対談本好きな私としては、二人のカマし合いというか、手嶋さんが佐藤さんのことをラスプーチン*1と呼んでいるのを(佐藤さんも嫌がってはいないようだ)を面白がったりしながら本を読みすすめている。

佐藤さんは作家でありジャーナリストでもある手嶋さんとの本を何冊が出版しているので、まぁ読んでみようか、くらいの関心から何冊か読んでいるのだが。

混乱する中東の情勢(これはホント難かしい)とか、中国がなんで空母をもっているのか、(ロシア・ウクライナ絡みらしい)とか、2012年に鳩山元首相が何故イランを電撃訪問したか、(イランの外交手腕に見事にはめられたそうだ)などと次から次へと頭を使わないと理解できない話題が出てくる。本の中で、特に手嶋さんは非常に生き生きしているように読めるけれど、私はイラン?ウクライナ?どこにあったっけ?レベルなので、私の頭の中のスカスカに白い地図は、タイトルにある動乱じゃなくて混乱しっぱなしだったりする。(何気に地理オンチ)

 

面白いのか面白くないのかも判断できないというか、少々の知識欲とナゾの義務感にかられて知りもしないシリアの情勢についての解説の章(第4章)を読みながら、「私に知識と教養があったなら、この本はきっととんでもなく面白い......はずだ」と独りごとを言っていたりする。

 

また別の佐藤さんお勧めの本を読んで、というか読もうとして生まれて初めて本に何が書いてあるのか難解すぎて途中でなげだしたのが、この本。

 

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

トランスクリティーク――カントとマルクス (岩波現代文庫)

 

 えーと、どうやらカントとマルクスをある程度理解していないと分からないらしい、(いやいや、知らねーよ!!)らしいというのもあやふやで、他の人の感想を読みながら、世の中には頭のいい人が結構いるんだな、と思った。(ギブアップ組もいたので安心した)

たぶん面白いだけの本に飽き足らない部分が私の中にあるのだろうと推測。知的興奮というよりこわいもの見たさというか、頭がいい人の見ている世界を少しでも見たい、一生知らずに終わることを少しでも知りたいんだと思う。知ってどうするとかではなくて、ただ知りたい。(でも知るのは自分のアホさ加減も方が多いけどさ)

 

ところで佐藤さんの本を読めば読むほど、ウクライナとイランの妖しさが増してくるんだけれど。とはいうもののスッカスカの白い世界地図を少しでも埋めるために、私の独りごとは続く予定だ。

*1:佐藤優は元外務省官僚で、ロシア情報収集・トップクラスの分析のエキスパートとして活躍。
ロシアと関係が深い政治家鈴木宗男と親しく、それに対してアメリカとの関係を中心にするグループが反発。佐藤さんは鈴木宗男氏の配下といわれていており、裏から操っているイメージを強めるため、外務省親米派から「日本のラスプーチン」とよばれた

他愛のない話

私には一生見ないと決めている映画がある。これを人はトラウマと呼ぶのかもしれないが、とにかくこれだけは見ないと決めている。

 

誰も知らない [DVD]

誰も知らない [DVD]

 

 ざっくりしたあらすじくらいしか知らないのだけれど、シングルマザーに振り回される子供が出てくる映画だ。兄弟の仲には置き去りにされて死んでしまう子供もいるらしい。

この監督は数年前に福山雅治が主演の「そして父になる」を撮っている。

 

そして父になる

そして父になる

 

 おそらくこれも見ないと思う。この是枝監督は、自分の中に家族というテーマを持っている人なんだろうと思われる。

ところで「誰も知らない」を何故一生見ないと決めているのかというと、母親役のYOUが怖いからというしょうもない理由からだ。正確に書くなら予告で見たYOUの演じる母親の声とか動いているところを見たら、ゾワっとした。子供のように無邪気で可愛らしい、年よりもずいぶん若く見える女性が私はものすごく苦手なのだ。なんでドキュメンタリータッチでフィクションなんか撮るんだろうね。

 

あの可愛らしいしゃべり方を聞くと、全く似ていないのに自分の母親を連想させられる。似ていないんだけれど、何か神経に障る部分がある。あの映画は私にとって、もしかしたらあり得たかもしれない自分に思えて仕方がない。(実話を元にしているそうだ)

 

勿論両親は離婚してはいないし、あの映画との共通点も多くないはずだ。なのにパッケージの少年の色々なことをあきらめたような表情を見ると、(演出だと分かっていても)地面に釘かなんかと一緒に打ち付けられたみたいに、そこからどうしても前に進めなくなる気持ちにさせられる。

 

あのころより遠い遠いところへ逃げてきた。でもあの男の子の伏せた目線は私を無力だった子供時代 に引き戻す。

トラウマって頑張って克服しなくてもいいと思う。人は自分以外の人間には決してなれないからだ。なれないまま、ズルズルと死ぬまで生き続けるんじゃないかな。

 

あのころは明日って本当に来るのかな?って思っていた。私は同じ時間の中をぐるぐる回っているだけな気がしていた。もしかしたら私は、誰かの夢の中にしか存在していなくて、その誰かが朝になって目が覚めたなら、私は消えてしまうんじゃないのかな?と結構本気で考えていた。でもそれならそれで仕方がないだろうと諦めてもいた。

 

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

夜と朝のつなぎ目はどこにあるんだろう。

 

 

恋は甘いかしょっぱいか

今子供が学校の行事でお泊りに行っています。「あれ?」っていうくらいに気が抜けてしまい。昨日は時間もいつもと違ってたっぷりあるし、ブログの更新をしようと思いつつも寝オチしました。

ご飯もテキトー。寂しいっていうより、「あれ?」って感じ(大切なことなので2回書いてみた)普段は思春期の中2病っ子相手にバトルに次ぐバトルな日々ですが、生活のハリは確実に与えてくれているらしい。数年後の子離れに向けて、心の準備をしようと決意しました。(とりあえず彼氏ができても尋問しないようにしなければ.......。

ところで少し前にこの記事を読んだ時に引っかかっていたことがあってちょっと書いてみますね。(記事が凄く良いので、勝手にインスパイアされたとも言う)

remmaru2130.hatenablog.com

私自身は特に二次創作をしたいとも探してでも読みたいと思ってはいないのですが、最近たて続けに京極夏彦本の公式(なのかな?)の二次創作というのかスピンオフ的な本を2冊なんとなく読んでみたのです。

京極さん本人が書いたわけではなく、ライトノベルの女性作家さんが依頼されて(勿論京極さんのファン)書いたものでした。内容に関しては「ふーん、こういうものなのか」という感想です。というか内容というより、2人の作家さんがそれぞれ京極さんの本を読みながら、本の中身のどこに萌えていたのかがよく分かるなぁと思わされましたね。

で、この『伝わらない二次創作』の方が、“説明不足”という原因を書いていて、これは本当にその通りだと思うのですが、私はこれにプラスして、「伝わる・伝わらない」の前に温度差の問題を挙げたいです。

温度差の問題というのは、二次創作を書く方は勿論その作品を好きというか、もう恋に落ちている状態と思うんですよ。でも恋をしていることを他人に伝えようとするならば、とりあえずいったん恋している自分を脇に置いて、その状態を引きで見る目がないと、描写というものはとても難しいのではないかと。だって現実(と比べてはいけないのかな?)に恋愛している恋人たちのノロケを聞いても、あんまり楽しくて仕方ない人はいないと思うし。でも恋をしている最中に恋から少し離れてみることは、それはそれで大変なんですよね。

そして私はこの“説明不足”の内訳として、文章が上手いとはイコールじゃない部分があるのではないかな?と推測してみました。というより上手ければ上手いほど、心の煮えたぎった華麗なる他人へのラブレター(二次創作の作品のことです)を読まされることになるので、それはそれで結構キツいことかもしれません。

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 自分の頭の中にある恋愛という妄想を(文字の上でも)現実という形で存在させようとするならば、もっと取り扱いというか、面倒くさいし大変でしょうけれど、他人の目というものをを多少は意識することが必要なのかもしれませんね。悲しいけれど他人に自分の恋愛という熱い塊をガンガンぶつけても困惑されることの方が多いんじゃなかなと。それくらいというものは儚い存在なような気がします。

そもそも二次創作のことなんかロクに知らないクセに!と言われたらそれまでなんですが、「伝わる・伝わらない」というところに焦点を絞って考察をしてみたので、その辺は先手を打って、お許し下さいと書いておきます。

 

ちなみに娘も何か二次創作っぽい話をたまに書いているらしい(見せてくれないです)のですが、終わりをあいまいにするのが好きだそうです。それも一つの手なのかも、と思いました。

人は何のために嘘をつくのか?ー『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万理

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

 

2006年に惜しくも病気でお亡くなりになってしまったのですが、米原万理さん*1という非常に才能に恵まれたエッセイスト兼作家がいました。彼女はお父上が日本共産党の幹部だった関係で、9歳から14歳というとても多感な時期に当時のチェコスロバキアの首都にある「在プラハソビエト学校」(当時ロシアはまだソビエトと呼ばれていた)というところに通っていました。しかもこの学校には50ヶ国以上の国の子供たちが一緒に学んでいたそうです。

チェコスロバキア、60年代というキーワードから想像することができるのはプラハの春です。*2幸い彼女はソ連の軍事介入の際にはもうチェコにはいませんでしたが、彼女の友達の多くはその後の人生を歴史の流れに翻弄されたのです。

この本にはチェコの学校で出会った3人の友達との出会いと別れ、そして大人になってからの再会が書かれています。ギリシャ人のリッツア、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。

タイトルにもなっているアーニャ、彼女はルーマニアのお偉いさんの娘ですが、その一家には時代背景に密接に関係する、どうしても隠しておかなくてはいけないある秘密があります。おそらくそれが原因なのでしょう、アーニャは病的なほど嘘つきとなります。アーニャの嘘は家族と自分を守るための薄いヨロイのような嘘です。そのせいなのか、嘘の理由も知らない友達に嫌われることもなく、皆アーニャを愛します。

人は何のために嘘をつくのでしょうか?その答えは実はとても簡単なのです。人は自分を、そして自分が守りたいと思っている人やゆずれない何かのために嘘をつく。

大人になったマリがアーニャに再会したとき、彼女はアーニャの嘘の理由に思い当たるのですが、2人を隔てるミゾは、もうどうしても超えられないほど深くなっていました。アーニャが自分の心を守るためついた血の色をした赤い嘘を、マリと同様に私は認めることができないけれども責めることもできない。人は結局は見たいものを見て、聞きたい言葉を聞くのでしょうね。

 

両親がギリシャの軍事政権から逃れてチェコに亡命してきたため、ギリシャに一度も行ったことのないギリシャ人のリッツアはマリにこう言います。

「一点の曇りもない空を映して真っ青な海が水平線の彼方まで続いている。波しぶきは洗いたてのナプキンのように真っ白。マリ、あなたに見せてあげたいわ」

帰ることができない故国。見たことのない青い海。私には全く理解の及ばない強い強いまだ見ぬ故国への思い。

生きることは、歴史の渦の中で生き抜くということは、自分の死に物狂いのみっともない姿を恐れないことなのかもしれません。

 

*1:日本の、ロシア語同時通訳エッセイストノンフィクション作家小説家である。著作には、『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』、『魔女の1ダース』、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』、『オリガ・モリソヴナの反語法』などがある。ウィキペディアより

*2:1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動ソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍による軍事介入のみを取り上げた場合はチェコ事件という。ウィキペディアより

あなたの常識は私の非常識ー『トネイロ会の非殺人事件』小川一水

のっけからはっきりと書いてしまうのだけれども、世の中の人をセンスがある人とない人の2つに分けたのならば、私は間違いなくセンスがない人の国に住んでいる。しかもわりと古い国民だね。

まだ若かりし日にそれなりに頑張ってはみたものの、「アレ、もしかして私、なんかダサいんじゃないかな?」と気が付いてそこで頑張る方には行かずに「まぁ、変でなければいいかな」と向上心もあまり持たずに、今に至る。

そういう人を前にすると人はいじりたくなる欲求を持つらしく、古くは母親や妹に服や靴やバックを見立てられ、言うことを聞いたり聞かなかったりしていた。別れたダンナにもいろいろ言われた。(服のこともなんか言っていたけれど、夫婦としては石原慎太郎とその妻を目指しているとも言われた。石原慎太郎と聞くと誰もが想像すると思うが、その想像通りのバリバリの亭主関白とそれに付き従う妻というやつです)今は娘に厳しい意見を言われたりしている。

外見に関しては平気でいうことも聞く私なのだが、内面、特に本の趣味に関して色々アドバイスをされると、なんか言った人そのものを受け付けなくなる傾向がある。外見がオシャレじゃないのと頭の中は関係ないよね?なんか失礼じゃない?なんでそんな簡単なことが理解できないのか?それは私は何でもあっさり言うこと聞く人だからさ!(威張ることではないが)

ところで私がミステリーという言葉を聞くと思い浮かべるのが西村京太郎のトラベルミステリーだったりする。

 

十津川警部 北陸新幹線殺人事件 (ジョイ・ノベルス)

十津川警部 北陸新幹線殺人事件 (ジョイ・ノベルス)

 

 何でかというと、実家の母親がやたらと読んでいたからだ。もしくは山村美沙。他の本も読んでいたんだろうけれど、西村京太郎は冊数が多いから、やっぱり家にあるのはトラベルミステリーで時刻表のトリックばかりが書いてある本だ。だから私はミステリーといえばトラベルミステリーか火曜サスペンス劇場くらいしか思いつかいないというとんでもなく狭い世界に今まで生きてきた(らしい)。そして面白い本を探すにもやっぱりセンスがいるので、これまでミステリーで面白いと思う本を探し当てることができなかった。(他人に本を薦められること自体が嫌いだから)

 はてなでブログを始めてから、他人の人生や生活や頭の中を垣間見るようになったのが面白くて仕方なかったりする。その一環として、他人の好きな音楽なり本なりに多少の興味が持てるようになった。直接だと主義主張を押し付けられがちなタイプなので日常生活では用心しているのだが、画面の向こうの他人はそこまで強烈には感じないのが本当に素敵。(駅とかで突然知らない人に話しかけられることのあるタイプなので)

 

トネイロ会の非殺人事件 (光文社文庫)

トネイロ会の非殺人事件 (光文社文庫)

 

 この本は私がちょくちょく読んでいるブログ主が面白い本だと書いてあり、なんかこの人はセンスがいいんじゃないかと前から思っていたので、試しに図書館で借りて読んでみたのだが、思っている以上に読み応えがあるミステリーだったというか面白かった。とりあえず時刻表が出こないのがとても良い。(一種のトラウマ?)

短編が3つ。私はミステリーを読みなれていないから、解説を参照してしまうけれど、設定が本格ミステリーの世界での定番の「クローズド・サークル」なのだそうだ。その設定は警察が介入しない状況をつるためには大切らしい、初めて知ったよ。西村京太郎の本では刑事が率先して事件に巻き込まれたり解決したりしていたけれど、違うの?まぁいいか。

とにかくミステリーというジャンルが面白いことを遅まきながら知ったので、時々読んでみようと思う。

※多分母親は鉄子(鉄道オタク)の素質があるんだろうと、随分後になってから気がついた。どうりで主人公も犯人も移動ばかりする本が多かったはずだよ。私とはそこから既に合ってない。

 

とにかく一度立ち止まってみようと決めた話ー学習塾のこと

 娘よ、もう一回らくだに乗ってみようか

世間ではSMAP問題(というかジャ○ーズ事務所問題とでもいうのか?)や甘利大臣がワイロを受け取ったことに(本人は記憶があいまいとのこと)どう責任をとるかといった問題の論議をしていますが、私の家庭でも素晴らしき娘の低空飛行な成績を何とかするための協議を重ねており、小学生のころに通っていたちょっと変わった塾に、再びお世話になることが結論となりました。

学び方〜らくだメソッドって? - スペースわん

公文式の学習方法に疑問を抱いた平井雷太先生という方が独自メソッドを作り、私塾の形で始めたすくーるらくだという塾です。

www.kumon.ne.jp

公文のHPと違って、らくだのHPは華やかさに欠けていますが、基本は創始者の平井先生の理念に共鳴して個人個人で経営している方々なので、どうしても地味になりがちですね。

公文式と少し似ているところと全く違うところと両方があります。公文式とらくだは共に教科は国語・算数・英語の3教科で、どちらも学年を超えて進むことができるという特徴があります。しかし公文式が学年よりどんどん先へ進むことが売りなのと違い、らくだは分からなければ前の学年戻ることになるのです。つまり

くもん 3年生でも規定の教材が終われば基本的には4年生の教材に進む

らくだ 3年生でも教材が理解できていないと判断されると2年生の教材に戻る

ということです。競争させるよりも学ぶことの意味を理解させるというフィンランドの教育に近い感じですかね。自主学習が基本にあって、あくまで本人の決めたペースで教材を進めるようになっているのも、公文式学習法との違いです。ですから先生は生徒に宿題のプリントの枚数を尋ねて、自分自身で枚数を決めさせます。

そして3年生とあえて書いたのは、らくだの算数のプリントをやってみた娘は、結果3年生まで戻ってやり直すことになったからです。(まさかの小4の壁*1が超えられていなかったという中学2年生...泣)

とにかく彼女は大人数の塾が嫌い、公文のように一人一人のペースで教材に取り組むのも嫌い、通信教育(Z会等)も面倒くさい、ネットで見た評判の良い教材を読んでもそれだけじゃ分からない、でも先生や友達に助けてもらいながら自分自身で勉強を進めることも大変でなかなか成果がでない......それじゃ一体どうすればいいのか!状態になってしまって、親子でバトル、バトルが続いていたのです。

そんな時ふと私がすくーるらくだのことを思い出して、早速2人で先生のところに行ったんですね。(前になんで止めたかというと、勿論受験の終わった娘が勉強するのを嫌がったから)

久しぶりにお会いした先生は、相変わらず寡黙な方で、「中学2年生くらで勉強につまずくことは、よくあるからね」と「子どもに望み過ぎだよ」と言いました。

母子2人だとどうしても煮詰まることが多くなるのです。いくら私の言っていることが正しかったとしても、どんなに子供の将来のことを思って言い聞かせたとしても、まだ中学生の彼女には届くようで届かない部分がある。もどかしさから衝突してしまうことも多く、そういう意味でもここらで外の風を入れることがいいだろうと決意しました。

とにかく勉強に関することをなんでも嫌がる彼女ですが、らくだのわからなければ戻る方式については納得しており、実はらくだの先生のことも好きだったりします。必要なこと以外ほとんどしゃべらないのがいいらしい。それならなんで塾止めたのかっていう話ですよ。(それは勉強するのが嫌いだから♪)

ところで3年生まで戻ったことについて娘にインタビューしたところ、「別に」という返事を貰いました。特にショックでも何でもないようです。(まさかの沢尻エリカな答え!!ーふ、古い)

 

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*1:小学4年生になると急に算数などが難しくなるため、勉強についていけない子が出てくることを言う

抹茶大好きという話

遅めの初詣

子供と浅草に初詣に行きました。一月も半ばになりましたが、結構混み合っていましたね。

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入り口のところで、写真を撮ったのですが光が中途半端に入ってしまい、私の写真ベタが丸分かりです。なので

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名物のあげまんじゅう(これは抹茶味。他にもさくらあん味やゴマあん味などがあります)を持っているところを子供に写してもらいました。自分で撮るよりも絶対上手なので、最近は写真は子供に撮って貰うことが多いです。(ガラケーなので写り具合はいまいちですが、構図はばっちりかと)これは浅草に来る楽しみの一つで、境内の近くにある店のおまんじゅうですが、本当においしいです。2人でそれぞれ2つずつ食べました。

 

私は混んでる場所が苦手なので、初詣はいつもこれくらいの時期に行くことにしています。

 

ところで気になったのは、境内を歩いていると中国語がかなりの頻度で聞こえてくることです。観光客というより普通に家族で御参りに来ているように思えるのですが。

日本のお正月は、西洋で使われているグレコリオ暦にそっています。これは明治5年に取り入れてられており、それ以前は中国と同じ旧暦(太陽太陰暦*1に従っていました。ちなみにその旧暦によると、2016年のお正月は2月8日になっているとのこと。7日が日曜日なので、日をずらして8日になるからだそうです。しかも祝日は中国の中央政府の 国務院弁公庁というところが決めるらしい。なんか融通がきくというのかちょっと待ってそんなんでいいの?なのか判断し難い。(個人的には正月が毎年違う日ということが冗談みたいで面白いなと思いますね)

多分日本で暮らしていると、年中行事も日本の習慣に慣れてしまうのかもしれません。(郷に入りては郷に従うってこと?)旧暦どうりならばまだお正月ではないのでは?ということはインタビューでもしないと分からないので、脇に置いておくことにします。

 

 

*1:旧暦1月1日は、通常雨水2月19日ごろ)の直前の日であり、1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。旧暦で平年だった年は翌年の旧正月は約11日後退し、閏月があれば約18日進む。ウィキペディア参照