人は何のために嘘をつくのか?ー『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万理
2006年に惜しくも病気でお亡くなりになってしまったのですが、米原万理さん*1という非常に才能に恵まれたエッセイスト兼作家がいました。彼女はお父上が日本共産党の幹部だった関係で、9歳から14歳というとても多感な時期に当時のチェコスロバキアの首都にある「在プラハ・ソビエト学校」(当時ロシアはまだソビエトと呼ばれていた)というところに通っていました。しかもこの学校には50ヶ国以上の国の子供たちが一緒に学んでいたそうです。
チェコスロバキア、60年代というキーワードから想像することができるのはプラハの春です。*2幸い彼女はソ連の軍事介入の際にはもうチェコにはいませんでしたが、彼女の友達の多くはその後の人生を歴史の流れに翻弄されたのです。
この本にはチェコの学校で出会った3人の友達との出会いと別れ、そして大人になってからの再会が書かれています。ギリシャ人のリッツア、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。
タイトルにもなっているアーニャ、彼女はルーマニアのお偉いさんの娘ですが、その一家には時代背景に密接に関係する、どうしても隠しておかなくてはいけないある秘密があります。おそらくそれが原因なのでしょう、アーニャは病的なほど嘘つきとなります。アーニャの嘘は家族と自分を守るための薄いヨロイのような嘘です。そのせいなのか、嘘の理由も知らない友達に嫌われることもなく、皆アーニャを愛します。
人は何のために嘘をつくのでしょうか?その答えは実はとても簡単なのです。人は自分を、そして自分が守りたいと思っている人やゆずれない何かのために嘘をつく。
大人になったマリがアーニャに再会したとき、彼女はアーニャの嘘の理由に思い当たるのですが、2人を隔てるミゾは、もうどうしても超えられないほど深くなっていました。アーニャが自分の心を守るためついた血の色をした赤い嘘を、マリと同様に私は認めることができないけれども責めることもできない。人は結局は見たいものを見て、聞きたい言葉を聞くのでしょうね。
両親がギリシャの軍事政権から逃れてチェコに亡命してきたため、ギリシャに一度も行ったことのないギリシャ人のリッツアはマリにこう言います。
「一点の曇りもない空を映して真っ青な海が水平線の彼方まで続いている。波しぶきは洗いたてのナプキンのように真っ白。マリ、あなたに見せてあげたいわ」
帰ることができない故国。見たことのない青い海。私には全く理解の及ばない強い強いまだ見ぬ故国への思い。
生きることは、歴史の渦の中で生き抜くということは、自分の死に物狂いのみっともない姿を恐れないことなのかもしれません。