ブラック・ティーは絶望の代名詞なのか?-山本文緒さん追悼
山本文緒さんの短編集「ブラック・ティー」のタイトルのブラック・ティーとは、落ち着いた色合いのバラの一種だと、この小説で知った。
私は表題作の「ブラック・ティー」という話の終わり方が好き
小説の終わりに希望は必要か?
これに関しては必要な小説もあるし、そうではない小説もある。この「ブラック・ティー」には、希望が必要ない。綺麗に終わったら、急に全部うそっぽくなる話だから。
以下ネタバレあります。
山手線は、どこにもたどりつかない
主人公は山手線に乗りながら、置き引きー要は人の忘れた荷物を盗んで生計をたてている20代の女性です。彼女は上手くいかなくなってしまった人生から立ち直れず、なるべく物事を深く考えないようにしている。
ある日置き忘れたブラック・ティーの花束を抱いてホームを歩く主人公に、見知らぬ男が声をかける。置き引きという犯罪でしか他者との接点がない彼女は、突然自分に声をかけてきた彼が恐ろしい。ぐるぐると同じ場所を廻るだけだったはずの彼女の生活は、電車の網棚に置いてあったブラック・ティーに執着してしまったことで、破綻を迎える。
ブラック・ティーは、二度と戻れない場所に咲いていた花
知り合いを切り捨て、家族とも疎遠になり、どこにもたどり着くことのない山手線に乗り置き引きを続けて生きている女性。以前はごく平凡な会社勤めをしていた、そんなかつてのごくありふれた自分をも切り捨てて誰とも交わらず、ぐるぐると廻る山手線に乗る生活をしている女性。
一人ぼっちの孤児みたいに生きる彼女のどの辺に、惹かれる部分が?
おそらく自分の親に、肝心なことを相談できないところだろう。私は主人公が親と親密な関係を築けていないところに共感している、悲しいけれど。
親と親密な関係が築けないと、当然のごとく他人と信頼関係を築くことへのハードルが高くなる。つまずいてつまずいて、そのまま誰もいない場所に落ちてしまった、そんな女性の話に共感する私。
バランスは、突然にあっさりとくずれる
知らない男に声をかけられて、それからその先は?
この話には、その先なんてない。なんとも後味の悪いすっきりしない終わり方なのだが、そこにとても惹かれてしまう。作者がごろんと投げた彼女の幸せではない人生が、私には1ミリもうそがないように感じたからだと思う。
これはただの小説。でもそこにかかれている彼女の寄る辺ない気持ちは、作者がかつて感じた気持ちなんだろうと、なぜだか私は信じることができた。なんとかバランスをとりながらの日々。会話しているようで、会話していない他者。一番大事なことが言えない家族。
私はあなたが書く話にすがっている時期がありました。砂漠で水を飲むように、あなたの本をむさぼり読む必要があったのです。
最後になりましたが、山本文緒さん、ご冥福をお祈りいたします。