ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

「高慢と偏見」に手が届かない私の読書遍歴

たまには読んでいる本について書いてみようと思うのだが、私の読書傾向はかなり偏っている。社会学関係と、それとは全く別にロマンス小説というか、いわゆる「ハーレクイン」を読むことがほとんとだ。

ハーレクインといえば、大富豪とウエイトレスが、偶然(!)出会って恋に落ちるみたいな話を思い浮かべる人が多いと思うけれど、まさにそんな話も読んでいる。ヒロインはびっくりするくらいよく妊娠して、それをヒーローに話せずに姿を消す。いやいやそこは2時間くらいホワイトボードとか使って話し合おうよ!と思うのだが、そうすると話が続かないので、やたらに消息をたつのだ。何年後に偶然(ホントかよ)ヒロインの消息を知ったヒーローが、「なぜ急に姿を消したんだ!」と詰め寄ると、お腹にはヒーローの子供が、もしくは傍らには小さな子供が...って話がこんなにもこじれているのは、明らかにオマエ(ヒーロー)が話を聞かないせいだよ!

  みたいな展開が楽しい。日本の恋愛小説とは違って、ヒーローが本気のドSで、種馬のごときの妊娠率を誇り、しかもやり捨て。最後はハッピーエンドといいつつ、やっぱりステーキとかぶ厚い肉をガンガン食べてると性格が激しくなるのかなーとか考えたりしている。あとヨーロッパとアラブの皇太子多すぎ!(アメリカとギリシャは大富豪ばっかり、ただし社長かCEOでも可)

ハーレクインではとにかくヒロインに行動力がないと話が進まないので(セッ○ス込みで)、その部分にもけっこう驚かされたりする。

でもそういった典型的なハーレクインとは別に、ヒストリカル・ロマンスと呼ばれるジャンルのロマンス小説も好きだ。これは基本的にはイギリスの貴族の恋愛模様で、とにかく階級による規制が厳しくて、決まりごとが山のようにある世界のヒロインたちが頑張るのだが、彼女たちが生存を賭けた恋愛を成就させる話といっても良いだろう。17世紀や18世紀といった時代小説の特徴は未婚女性の人権がないに等しいことだから、彼女たちは自分の人生のために、死に物狂いで結婚相手をハントしなくてはいけない。

分かりやすく言えば、「高慢と偏見」の世界なんだけれど、

これだと私には文学文学しすぎているので、

近い雰囲気のジョーゼット・ヘイヤーの本などを読んでいる。彼女の小説はヒストリカルの原型ともされ、1965年に書かれているのでラブシーンどころかキスシーンもない。しかも頑張って残り2ページまで読まないければヒロイン・フレデリカは自分の恋心にも気がつかないし、そこに至るまでに侯爵が何とか結婚を申し込もうとしている最中にフレデリカが思い悩んでいることといったら、健康増進に効くポークゼリーのことなのだ。でも、そこがよい

あとは子沢山が当たり前だったりする時代なので、3人兄弟どころか4人、5人とか平気で兄弟姉妹がいて、作家は順繰りに兄弟姉妹の恋愛を書いていく。これで終わりか?と思ったら、貴族の庶子父が認知した私生子)の恋愛編があったりするので、読んでいる方としたらスピンオフに次ぐスピンオフ感覚だ。うっかりしていると、友達やいとこの恋愛編が始まる。特に質・量共にレベルが高くて面白かったのが、ジュリア・クインのブリジャートン・シリーズで、8人(!)兄弟姉妹に加えて後日談まであるので、8人がそれぞれのお相手と恋に落ちて結婚し、家庭を持って子供が生まれるまでが楽しめるのだ。

 

そしてこういった物語のヒーローがデフォルトといっていいくらい備えている身体的な特徴が「胸毛」だ。とにもかくにも、皆ふさふさと胸毛をたくわえていて、ヒロインはそれに非常に高確率で官能的なときめきを覚える。この発見を娘に伝えたら、やたらウケていた。

ここまで書いて気がついたのだが、私は10代の時に母親が愛読していた「赤毛のアン」のシリーズを全巻愛読していた。アンの息子が戦争(第一次世界大戦)に従軍した時は、泣いたなー。

私が好むヒストリカル・ロマンス小説は、「赤毛のアン」の古めかしさにプラスして更に、がっつりラブシーンや官能シーンがプラスされている小説なんじゃないかと思う。

しばらく前に、アンを書いたルーシー・モンゴメリの「青い城」というヒストリカル・ロマンスを読んでみたら、官能シーンはないけれどラブシーンがなかなか素敵だったので(ヒロインは29歳崖っぷち未婚女性、美人じゃないけどユーモアセンスに長けている)、やっぱり私の読書の原点は実家の本棚にスラリと並んだ「赤毛のアン」シリーズかもしれないなと思う。

でも、モンゴメリに胸毛描写は無かったと思う。