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現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

だらだら日記ー父親を見限った日の話

9日

父親を、見限った日のことを覚えている。あれは高校3年生の、たぶん春とかに起こったことだった。

 

私は自分の部屋で、机に向かって本を読んでいた。そこに突然父親が入って来た。私は「あ、まずい」と思った。勉強をしていなかったからだ。
彼は抜き打ちで部屋に入って来ては、勉強をしていないと言って子供を怒鳴る人だった。それは、いつものことだ。
父親が部屋に入ってくる瞬間に、子供は彼が想定している振る舞い(勉強している)をしていなくてはいけない。父親の頭の中には、そういう決まりがあったらしい

その日も父は私をチェックするため、部屋に入って来た。本を読んでいる私を発見し、何も言わずに私が読んでいた本を手にとって窓のそばに行った。彼は閉まっていた窓を開けて、そのまま本を投げ捨てた。そして部屋を出ていった。まさに嵐のようだった。

その理不尽とも言える一連の出来事は、会話もなくあっと言う間に終わった。まぁ子供である私に、何かを申し立てる権利はないのだけれど。
当時私は17歳。まだ親に逆らえる年ではないし、そもそも逆らうような性格でもなかった。だから、特に文句を言ったという記憶はない。本を捨てられたのは初めてだったから、驚いただけ。

投げ捨てられたその本は、フランス人の作者が17歳の時の写真が表紙に使われていた。私は本屋でその表紙を見た瞬間、彼女と目があって胸の中がときめいたことがわかった。人生で初めて買った、ハードカバーの本だった。

私は窓の下に落ちている本を見ながら、ぼんやりと、拾いに行かなきゃなぁと思った。ショックというよりも、あの人は教養がないってことがわかった。なぜならその本は、フランス文学でも一部に熱烈な読者を持つ、マルグリット・デュラス*1の本だったから。

それに少しでもまともな神経があるなら、人を読んでいる本を捨てたりしない(これは後から思った。鈍いな私)。
おそらくあの人は、デュラスのことも知らなかったんだろう。自分が考えているように、子供が動いていなかったことしか見えてない。

 

知らないことは悪くないけれど、人が読んでいる本を取り上げて投げ捨てるのは、すごく良くないことだと思った。

 

 

もちろん本は、その後すぐに拾いに行きました。

●7年前に書いた記事を、リテイクしてみました。かなり違いますね。当時は上手く整理できておらず、書けなかったことも書けた気がする。

yuriyuri.hatenadiary.com

 

 

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*1:フランスの小説家、脚本家、映画監督 。1914年4月4日 -~1996年3月3日。ヌーヴォー・ロマンの作家の一人に数えられることもあるが、キャリアの点でも作風の点でもヌーヴォー・ロマンの枠内には収まらない。