ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

がんになったーポンコツ日記

令和4年12月13日、私は救急車で某病院に運び込まれた。腸閉塞だった。緊急手術で、ストーマ(人工肛門)をつくった。

その後の検査で、大腸がんになっていることが判明した。肝臓と肺にも、転移していた。そのまま入院ということになり、体調を整えながら、がんの化学療法をしていくということになった。

 

まさに怒涛の展開とはこのことだろう。わたしの人生は、その前・その後と表現しようがないくらいに、変わってしまった。

 

思えばそれまでずっと胃と腸の具合が悪くて、近くのクリニックに通いながらちまちまと薬を飲んではいたのだ。それに健康診断でもひっかかつたりしてはいた。しかしここまでの大事になるなんて、考えるてもいなかった。まぁ今になって何を言ってたとしても、後の祭りでしかないんだけどね。

 

がんはステージ4。でも末期ではない。転移していると、ステージ4なんだってさ。知らんかった。

娘には本当に悪いことをした。娘は最初に私が病院に運び込まれたとき医者に呼ばれて、“お母さんは、2年くらいしか生きられないかもしれない”と言われたそうだ。同居している唯一の家族だからね。あとから聞いたのだけれど、娘はパニックになってしまったらしい。そりゃそうだよね。病院側として現状を身内に知らせなくてはいけないけれど、まだ娘は大学生。何が、なんだか分からない。コロナで面会はできない。急にひとり暮らしになる。といった感じだった。

 

私自身は病気のことに関して、全くと言っていいほど詳しい説明を受けておらず、ただひたすら静かに療養しただけだった。

 

12月は私自身の体調が落ち着くのを静かに待つしかなかった。そのころ書いてたメモがあるんだけど、今読むと我ながら追い詰められすぎて可哀想なくらいだった。

というより精神状態がギリギリすぎて、あんまり読みたくない感じ。

落ち着いたらブログに書こうかなんて思っていたけれど、落ち着いた日々なんて来やしない。この文も、パソコンを開くことを諦めて、スマホでポチポチ書いているのが実際のところ。

でもなんとか当時のメモをまとめたいなと思ってはいる。

そして最近の私は、混乱する気持ちをツイッターに書きなぐっている。まさかほったらかしの、ツイッターを再開するとはおもわなかった。

 

ところで私はつい3日前、あまりの入院ストレスで一時的に退院してきたところだ。なんというまとまりのない文章た思いつつ、これが私の現時点での精一杯だったりする。

追記

マックでチキンフィレオのセットを食べた。ずーっと食べたかったんだよ。ジャンクな食べ物を!

実のところ昨日までヘロヘロしていて、お風呂入るのもひと苦労だった。まぁ今でもたいしてかわらないんだけどさ。

食欲が出てきたことが、本当に嬉しい。でも大好きなコーヒーは、まだ怖くて飲めない。カフェオレならいけるか?チョコだって重く感じて食べられないくらいなのだから。

おとつい外に出て歩いた時は、自分の歩きのあまりの遅さに本気でショックを受けた。70歳をとうに過ぎたおばあちゃんのように、おぼつかない足取りだったので。

今日だってあるくのが決して早いわけではないけれど、道ゆく人々になんとかついていけてる、気がする。それだけでほっとするよ。

マック万歳!は冗談だけど、これからも生きていかなくちゃね。このポンコツな私のままで。