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ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

放送大学に関すること、及び読書その他についてをゆるゆると語る

続・父親に本を捨てられた話

 思い出したことがあったので追記を書こうと思ったのですが、意外に長くなりそうな予感がしたので、続編にしてみました。

前回に記事では、本を捨てられた時にたまたま窓が開いていたと書きまし

 たが

yuriyuri.hatenadiary.com

 

窓は閉まっていたことを思い出しました。彼が窓をガバっと開けて、本を投げ捨てたのです。窓を開ける時に音がしたのを思い出しました。

 

それと同時に、もしかしたら彼が窓を開けたこと自体が自分の思い込みかもしれないとも考えました。

本を捨てられたことは事実ですが、その時にどうだったこうだったなんて、誰にも証明しようがないということです。それにおそらく今でも父親が生きていたと仮定して(ビックリするほど気の滅入る仮定だ)彼は私の本を捨てたことをきっと覚えてもいないでしょう。そこは確信がありますね。

彼が子供部屋に突然入って来て、彼のイメージ通りのことをしていないと(多分勉強とかだと思う)頭を引っぱたいて、去っていくというのがお決まりのパターンだったので、(何かいろんな場面でのいろんな設定があったらしいのですが、エスパーじゃないから察するのはムリ!でもそれは通じない)私自身も様々なことをごちゃ混ぜにしている可能性があると思います。基本全部楽しくないことばかりでしたが。(監督父親、脚本父親、しかもスゲーつまんない脚本をスゲー才能のない監督がとるドラマってカンジ、鶴瓶のスジナシを素人がやってるみたいな)

 

 

 でも全部終わったんですよ。だからこんなにも思い出し作業ができるし、どうだったかな?こうだったかな?なんて言っていられるわけです。10代とか親がまだ元気いっぱいで、ホントーにいろんなことが嫌だったけれど、こうなると年をとるのも悪くないなと思います。責任も増えてなかなかそうも言っていられないけれど、大人になったら“親のイメージにあう子供”をしなくてもいいからね。

 

あ、スジナシは好きですよ。最近は見ていないけれど。鶴瓶はアドリブに強いから、鑑賞に堪えうる作品が出来る。けれど素人さんはそういうことに手を出すもんじゃないですよね、と死んだ父親に対してイヤミっぽくまとめてみました。(まぁそもそも死んでるから聞こえないんだけれど)