ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

恋とはどんなものかしら?-続・ベッキーよりよっぽど気になったことがあったという話

前回の続きです。

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 もう少し書きたかったこと、前回あまり興味がないと書いたはずのベッキーについての話です。

 

私はベッキーにも不倫にもあまり興味をひかれなかったのですが、彼女とそのお相手の組み合わせを聞いた途端、反射的に思ったことがありました。それは

ベッキーって音楽で成功することを諦めて、“成功したミュージシャンの妻”になる方向にシフトチェンジしたのかな」ということです。

ベッキーが歌手ベッキー♪♯としてCDを出していることは知っていましたが、正直どんな曲だったのかは思い出せません。試しに聴いてみましたが、可もなく不可もなくという印象でした。正直歌手・ベッキ♪♯ーよりタレント・ベッキーの方が何倍も魅力的だと思います。(大体ベッキーの後についている♪♯からしてちょっとダサい・・かな。ファンの方すいません)

タレント・ベッキーは確か音楽番組のMCもしていますよね。でも歌手・ベッキーは音楽番組にしょっちゅう出てくるというわけではないようです。(私が知らないだけ?)

反対にゲスの極み乙女というバンドの川谷絵音という人は、彼の音楽センスというか才能で売れた人です。いわゆるイケメンでもないわけですし、何がベッキーをひきつけて不倫へとつきすすませたのか、どうして“彼”でなければいけなかったのか。だってベッキーは十分美人で努力家で、画面で見る限り賢そうだし、多分モテると思います。

そのベッキーが努力しても手に入れられなかったのが“売れっ子ミュージシャンとしての自分”なのではないかと。

これはあくまで私の勝手な推測ですが、自分が思い描いていたような音楽活動ができないベッキーは、その代わりに売れっ子ミュージシャンを支える彼女そしてのち妻になることで自分自身を納得させようと、折り合いをつけようとしたんじゃないかなぁと。

ベッキーに限らず、人は手が届かないものやどうしようもないことにぶちあたった時、諦める代わりに心酔する、つまり(対人においては)恋に落ちるという方法をとることがあります。

イソップ童話のすっぱいブドウの話のように「あんなもの本当はたいしたことない、欲しくない」といって悪態をつくやり方をする人もいますが、全く反対にキャー素敵!とうっとりして無抵抗になってしまう人もいます。ベッキーはお年頃ということもあり、後者の恋に落ちる方式をとったんじゃないのかなーと思ったわけです。

そうすれば彼女の音楽に対しての思い入れもミュージシャンの妻として音楽に関わりながら彼の音楽活動を支えるといういい感じでおさまるわけですし、そろそろ結婚どうしよう問題も解決できる。ベッキーにとっては一石二鳥だったんじゃないかと想像してしまいました。

でもこれはあくまで私が勝手に考えた“ベッキーはなぜ彼を選んだのか”の推測なので、勿論実際はわかりません。

 

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タレント・ベッキーも歌手・ベッキー♪♯も彼女にとっては大切な自分であり、どちらのベッキーも恋することができる相手が“彼”だったのかもしれませんね。

ベッキーよりよっぽと気になったことがあったという話

文字通り、ネットを賑わしている金スマでのべッキーの謝罪(なんだよね?)とそれを受ける中居君についての雑感ですね。

実は私は、当のベッキーより中居君の見事な采配ぶりに本気で驚いたんですよ。
まず最初に彼はベッキー

・嘘をつくな
・言えない、もしくは言いたくないことがあったら、そのことは言いたくないと言え

と話すわけですよ。これがまずスゴイよ!なんというか現役アイドルの言葉じゃないでしょう。(ちょっと失礼かな)だってアイドルというものは 、そもそも虚像を売る部分があるわけですし。

その後も出過ぎず、引きすぎず、絶妙なところで全体をコントロールしながら、ベッキーが現在の時点で世間から持たれているであろうマイナスのイメージを大分減らして、少なくとも賛否両論のところまで持ってきたし、人によってはプラスイメージすら抱いたと思う。

もう私は中居君の一挙手一投足を食い入るように見ていました(一回しかYouTubeて見てないけど)
番組自体もベッキーのためにもきっちり演出していたけれど、(別撮り、二人きり、日本家屋で囲炉裏っぽいものを囲んで、で も何か食べたりとかせず、ゆっくりしたカメラの動きなど)

昔、私は中居君を「うたばん」という番組で見た時 大変失礼ながら、なんか品のない話し方をする子だろうと思ったことがあるんですよ。だからそれ以降、あんまりちゃんと見てなかったんです。別にジャニーズファンでもないし。

今年SMAP解散騒動があったじゃないですか。詳しいわけではないから、その時はジャニーズ事務所も芸能界も怖いなーくらいの感想しかなかったのだけれど、中居正広という人が、いろんなしがらみを背負いながら、苦いものを飲み込みながらやってきたんだろうなと、なぜかベッキーとの番組でのツーショットを見て感心してしまいました。(悪いけどベッキーにはほとんど興味をひかれなかった。別に特に嫌いとかではない。中居君のおかげで復帰のめどがたったと思うので良かったんじゃないかな)

要は、中居正広という人に知性と懐の深さを感じたということですね。

同時に番組を成立させるためのしたたかさも感じました。でも不快ではない。

ここまで一気に書いていたら、スマホの電源が切れそうなので、いったん終わりにします。
多分続きを書く予定。

友達ができたという話

全くブログを更新しておらず、月の最後の日になってしまい、慌ててしまっている。

タイトル通り、40半ばになってひょんなことから友達ができた。ライン始めちゃったよ。

実は10年以上友達ゼロで辛くて仕方なかったんだけれど、ものすごーく冷静に考えてみたら 私自身としては結構な人間嫌いなんじゃないか、ということに気がついた (まぁ実家と、つまり実の母親や兄弟たちともなるべく関わらないようにして生きているわけだしね)

じゃ、友達いなくでもいーじゃんとひっそり暮らしていたわけですよ。つまりいないならいないで“友達のいない、知り合いだけの人生”を生きていたんだけれど、まさかの展開で突然友達ができたよ。しかも複数。人生って何が起こるか分からないものだと思ったね。
そしてそのことから自分が思っていた以上に他人を信用していなかったことに気がついた。
だから「友達ができたよ、わーい!」みたいに単純に嬉しいわけでもない。「ま、悪くはない」くらいな気持ちなわけなのだが...。

と、同時にこれじゃ、友達ができなかったのも無理はないと理解してしまった。やはり物事には理由があるもんだなと。
まず他人に対して「お前が信用できるという証拠を示せ!」と全く無意識にやってしまっていたわけですよ。そりゃ友達なんてできないよな~。私だってそんなやつ嫌だし。
もし4月を要約するなら、「新しい自分を発見(はあと)」ーその自分が素敵がどうかは不問とする、かなぁ。


それだけです。

パソコンが故障中の時の話

パソコンが壊れた。ただでさえ最近の私は、ブログを更新する意欲が低下しているのに困ってしまう。

物は壊れる人は死ぬ三つ数えて眼をつぶれ

物は壊れる人は死ぬ三つ数えて眼をつぶれ

半年ほどブログを書いてみて、ここを乗り切ればまた半年くらい続くのだろうけれど、乗り切れる気がするようなしないような。というのは、この半年他人のブログを山のように読んでみて学ぶところも多いし、面白い記事も多々あるけれど、反面こんなこと書かなくてもいいのに...と思わされる「他人をあげつらうため」や「自分を高く売りこむため」の記事も一定数存在することが非常によく理解できたからだ。

勿論他人は他人、自分は自分と言ってしまえばそれまでなのだが、そうは言いながらもブログという同じ表現媒体を使っていることで、自分が同じ穴のむじなみたいな気がしてしまう。自分が書いた記事を誰かに読んで欲しいことにおいては重なる部分もあるからだ。
人を惹きつけるためには、過激さやセンセーショナルさが必要なのは理解できるけれど、そのために何万アクセスとか欲しがることが、私自身はあんまり共感できない。そんなにも多くの人々の目が自分に向いているとか想像するだけで私ならめまいがしそうだよ。でもまあ私のブログはそんなに人が来ないので、そもそもそんな心配はないのだけれど。

多分私は「世の中には色々な人がいる」ということの本当の意味を、40才を過ぎてから知ったということなのだろう。ある言葉を知っていることと、それを理解することはイコールではないからね。
とはいうものの「色々な人々の色々な人生」を垣間見るというツールとしてのブログは、なかなかスグレモノなんじゃないかなぁとも思う。

というわけで、ブログを読んでくれる人々に対して、「私の人生にようこそ!」なんてこと思いながらも今は真夜中なので、おとなしく寝ることにします。お休みなさい。

たぶん色々なものにイチャモンをつけている話

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 ランサーズで進行中だった仕事が文字どおり吹っ飛んでなくなってしまい、そのせいなのかブログを更新する気力が著しく低下していました。もともとライター修行のつもりでブログを始めたところがあり、実のところ、日々考えていることをいちいち他人に知られたくない性格だし、そもそも読み専なので、私自身は文章を書いたり発表したりすることにあんまり思い入れがないです。というよりこの世には本も映画も音楽も、私が死ぬまで見たり聞いたりし続けてたとしても終わらないくらいに溢れかえっているのだから、わざわざ文章を増やすこともないかなと思ってみたり、そういう大変そうなことは、私以外の誰かがすればいいと思っているふしがある。(他の人はどういうふうにしてブログを続けるモチベーションを保っているんだろうか?)

そもそも何かを生み出したりしなくても生きてるだけでいいんじゃないの?とここ数年で強く思うようになりましたね。何か私はそんなに素敵な人じゃないし、素敵じゃなくてもいいかなーと。

こんな風に思うようになったのは、本屋に行くと女性向けの本のコーナーに必ずといっていいほど、「貴方の魅力を発見するためには」とか「素敵な日々がなんとか」みたいなタイトルの本が並んでいることの反発からかもしれない。あの辺の本のタイトルを見る時に感じたモヤモヤ感が、しょうもないことを考えるようになったきっかけだと思いますね。それらを見ると(読むと、ではないのがミソ)本を書いた人はどうなのか知らないけれど(書いた人に会ったことがないから判断できない)その本を手にとって読む本人が、もしかしたら何の魅力をない場合だってあるだろうとついつい思ってしまうわけです。

大体その人に魅力を感じるか感じないかは本人が決めることではなくて相手が決めることなんじゃないのでしょうか?でも本人の魅力についてのウンヌンに関しては、さすがに他人に言ったらマズイことなのは承知しているので、リアルでは娘にしか言ったことないですけれどね。(しかも娘ですら若干引いているようです)

まぁいいや。要約すると、なかなか春にならないので暖かくならないし、花粉がそこら辺を飛んでいるのがうっとおしいということですね。(適当)

ところでそんな私が何をして過ごしていたのかというと、読書三昧と、ときどきはてなブックマークです。今の私が気になっているトピックは、以前記事にも書いた人工頭脳(AI)のことと、

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 アメリカの大統領選挙です。AIに関してはそんなに積極的にフォローしていないのですが、私は今、ドナルド・トランプ - Wikipedia

に興味しんしんとなっています。

「あれは映画だ」 トランプ氏絶賛に米大統領役H・フォードが反論 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News「トランプ暴言」に海外外交官たちが米国へ異例のイエローカード | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトそれから町山智弘さんの解説の

miyearnzzlabo.com

この記事は特に面白い、アメリカの危うさを感じさせる素晴らしいレポートになっており、素晴らしいという言葉はこういう時に使うべきだよなーと、一人勝手にブツブツ言っているわけなのです。

町山さんはアメリカの政治を歴史にそって紐解いていきながら、現在共和党が直面している危機を分かりやすく解説してくれています。選挙が加熱して、どうやらアリゾナでは拳銃を持った人が、公園やレストランをうろうろしているらしい。全然大丈夫じゃないじゃん、アメリカ。

トランプ現象はどこまで続いて、どんな風に決着がつき、そしてその結果はアメリカという国にどんな爪あとを残すのでしょうか。今年の私の春は、ドナルド・トランプと花粉でいっぱいいいっぱいのようです。読んでいた本の感想は次回にということで。

勝手に未来予測をした話

このニュースに自分でも驚くくらいの興味を惹かれました。

www3.nhk.or.jp

すごいな!とかではなくて、なんと言うかAI、つまり人工知能に対して私なりのイメージがわいた、ということです。

私自身はバリバリの文系なので、人工知能が発達していくことでどういったことができるのか、できないのかはニュースをそのまま鵜呑みにする程度の知識しか持っていません。そしてその私が人工知能に対して最も関心が高いことといったら、

10年後90%でなくなる仕事が発表されました!あなたの仕事は大丈夫!?失業前に転職を考えましょう

というオックスフォード大学の教授が提出した論文です。これによると702種の職業は20年以内に47パーセントがAIの発達で機械にとって変わられると述べています。これはけっこう有名な記事であり、私も色んな雑誌でこれを元にした記事を読んでいます。

それはそれとして(とはいうものの危機感をもってはいるのですが)じゃぁ人工知能って結局何なんだろうか?という立体的なイメージがわかなかったのですが、上記の人工知能が小説を執筆、というニュースを読んで、「ああ、なるほどね」と思いました。

この“なるほどね”はこれがSF作家、星新一さんの作風を受け継いだ新作を生み出すことを目指していたという部分です。私は一時期星新一さんの本をそこそこ読んでいます。そして彼の本には近未来の世界が当たり前のように出てきます。私はなんと言えばいいのか、おそらく星新一自体の作家としての力量とでも言えばいいのかは分かりませんが、本を読みながらその近未来に対して、ある種のリアリティを感じていました。

 

ようこそ地球さん (新潮文庫)

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 その未来は星新一という作家の頭の中しか存在しない世界だったのに、2016年の今、彼の本に出てきそうな人工知能、AIが彼の作風を受け継ぐべく小説を創り出すようになったということにショックを受けたのです。私は「あぁ、今の時代は星新一の書く近未来に、半分足を踏み入れたんだな」と感じました。私たちは現在近未来に生きているんだな、と思ったのです。

つまり後から歴史を検証したならば、私たちは(多分)本格的に価値観が変わっていく時代に立ち会っているんだろうな、と思ったのです。これからますます変化に継ぐ変化が様々な分野で起こってくるんだろうな、とも感じました。えーと、価値観戦国時代とでも言ったらよいのか。私の中学生の娘が大人になるころには、私と彼女は全く通じない言葉や考えをお互いがお互いに使いながら、それでも対話しようとするのかもしれない、と想像しました。私はこれまでの価値観を全て作り変えたり捨てたりすることはできないだろうし、彼女はこれからを生きていく人だから。

私にとっては人工知能がその象徴に思えたのです。

 

まぁこれはあくまで私が勝手に感じたことなので、当たるかどうかは自信がないのですが。(けっこう無責任)

続・鶴の恩返しの恩返し部分がないという話

yuriyuri.hatenadiary.com

 

 この記事の最後にあるように、子供とスイーツを食べてきました。春を意識したというピンク色のパンケーキです。でも行くまでにひとバトル、というか2日にわたってケンカをしました。最近戦ってなかったので、「すっかりお互い落ち着いて」なんて思っていたらとんでもない!ひさびさの手も足も出る本格的なバトル(向こうが手を出すのに5回に1,2回応戦する)で、いったん終わったかと思いきや、次の日も結局ケンカになりました。まぁひどいもんですね。原因は説明するとおっそろしく長くなるので省略します。

思春期の子育ては戦いみたいなものです。あちらは“これからの人”だから勢いもあるけれど、こちらはそうはいかない。中学生は中途半端な大人というか、テクニックも忍耐力もないので気に入らないと、とにかく叫びます。そういうものなんでしょうね。

子供が思春期に迎えて分かったことは、人間同士はもめるものだということです。とにかくもめるのが基本で当たり前だということ。私はこれまでの人生で極力人とぶつかりたくなくて、ついつい譲ってしまうことがほとんどだったのですが、そんなことでは子供の理不尽な欲求に押しつぶされてしまうということが身にしみて理解できましたね。人間は他人を従わせたい、自分を通したいという欲望が大なり少なりあるということです。私は比較的少ないタイプなのですが、子供はたまたま多いタイプのようです。とにかく私に勝ちたいらしい。まぁ家の中で新旧の動物の縄張り争いみたいなことをしているわけですね。

なのでお互いに相手がイヤで仕方がないときがあり、そんな時には私が外にフラっと出かけています。こっちは大人なんでしょうがない。関係を微調整するわけです。

今日はちょっと仲良しな日だったので、「ママは年なんで、もう少し優しくしてね♪」と言ってみました。次から年寄りモード戦略でいこうと思います。ちょこっと反省していたみたいなので、まだしばらくは上手いこと丸め込めそうですね。

 

 

 それから急に留学に興味が出てきたらしく、英語の勉強を頑張る宣言をしていました。なぜだ?あんなに英語を嫌がっていたのに!気まぐれすぎだよ。

 

妹が夏にイギリスへひと月くらい滞在する予定らしいので、夏休みを利用して、10日くらいまぜて貰おうと思っています。(妹はフリーランスをしているので仕事に融通がきくのです。しばらく前にもロシアに行っていた。私は絶対ロシアとか行きたくないけれどね)