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「たとえ世界が終わっても」人生は続く、だらだらと

日本やアメリカ、イギリスは1980年代以降、新自由主義ネオリベラリズム*1)の考え方を経済政策に取り入れるようになりましたが、その結果起こったのが格差社会です。こういった状況を踏まえて書かれた本が、橋本治著の「たとえ世界が終わっても」なのです。

 

内容紹介

『“イギリスのEU離脱決定”と“ドナルド・トランプのアメリカ大統領当選”を見て、成長と拡大を求め続ける資本主義経済の終焉を確信したという橋本治。資本主義の終わりとは何か? その後を我々はどう生きるべきなのか? 「昭和の終わりと同時に日本経済は飽和した」「貿易なんて西洋人の陰謀に過ぎない」「国民はクビにできないので、企業経営感覚の政治家は容易に差別主義者になる」など、政治や経済といった枠を超えて次世代に語りかけるメッセージ』

 

 この本は、世界が大きく変わりつつある今、「その先」ってどうすればいいの?という問いに、橋本さんが優しく答えてくれている本です。

例えば高校生の娘と話す時や70代の母親と話す時に、自分の立ち位置というか、自分がどう考えているのかを、ふと自問自答してしまうことがあります。そんな時には、自分が昭和を引きずった考え方(昭和と平成の中途半端なミックスとでも言うのでしょうか?)というか、どこかで平成の持つスピード感や価値観になじみ切れない部分がベースになっているなぁという自覚があるのです。しかし最近は、それでも(平成に乗り遅れても)いいんじゃない、と思っている自分もいます。

この本の中で橋本さんは、「正義とは損得で物事を判断しない」ことだと書いているのですが、私はこの“正義”の部分に“大人”という言葉を当てはめたいなと思いました。「人とは損得で物事を判断しない」、つまり損を受け入れていくのが大人ではないかと。でもこうした考え方は、新自由主義どころか現代社会にすらそぐわないですね。

もちろん損得は非常に重要ですし、私自身、損得を無視しようというわけではありません。しかし物事の判断ベースの基準を損得とするならば、損をしないためには自他共に永遠に成長し続けるということが正しくなってしまいます。拡大し、成長し続けるものを肯定するということは、思い通りに育ってくれない子供や、自分自身が年を取って弱っていくことや、親が次第に老いていくことなども受け入れることが難しくなってしまうでしょう。(橋本さんの本の壮大な内容と比べると大分せせこましい考えですが)

 

平成の次の元号が何であれ、おそらく私はこれからも時代に遅れていくんじゃないかと思います。これまでそういう自分がなんとなく後ろめたかったのですが、橋本さんの本を読むと、「それでも全然いいんじゃない」と言ってもらったような気がしました。

 

 

 

yuriyuri.hatenadiary.com

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*1:国家による福祉・公共サービスの縮小(小さな政府、民営化)と、大幅な規制緩和市場原理主義の重視を特徴とする経済思想