ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

独断と偏見に満ちた話

少々思うところがあったので...。

照準を持たない暴力性の発動

ずっと引っかかっていたことがあるけれど確信は持てない件として、この写真が中身に直結しているということ。

この表紙の写真は著者のはしごたんさんが自ら撮って色を加工したものだそうで、この影は彼女自身なのだそうです。つまり何が言いたいかというと、この本に書かれていることは、彼女の影の部分であるということです。「この本の中身は私の影の部分についての話ですよ」ということを表紙であらかじめ予告している。色を加工したということは、「私の目を通した事実が書いてありますよ」ということだと思います。(ただ本人に自覚があるかどうかは定かではない)猫は、うーん分かりません。

えーとですね。ブログを引用することについて寛容ではないとか、法律でひっかからない範囲なら良いだろうとか言われていましたが、おそらくそういうことではなくてこの書籍が彼女にとっては非常に特別なものであるということです。

kuroihikari.hatenablog.com

勿論誰にとっても自分の本は特別なのでしょうけれども、書籍は彼女にとって自分自身の延長でもあり、他人、つまり共同作業で書籍を作り上げたid:potexさんという他者との接点というか交渉の成果でもあるということです。だから厳密に言うならば、過去と現在と他者を上手く繋いでくれたという意味で“それ”を勝手に切り取って別の意味を与えないでくれということだと思います。あくまでこれは私のただの推測でしかないので、本人が違うと言えばそれまでなんですけれど。

 

それからはしごたん著「照準を持たない暴力性の発動」を読みました - あけすけビッチ! かんどーのあばずれ日記に関しても思うところがありまして(カンドーさん何度も言及すいません)カンドーさんにははしごたんさんの言葉が通じるんだなぁということです。例えば「明日天気だといいですね(深い意味はないです)」と言っても皆が皆同じことを考えるわけではないということです。どうやらカンドーさんとはしごたんさんは、同じ国に住んでいるらしい。もしくは隣接する国か?)

私はぼんやりとしか“何”が書いてあるのか理解できないんですよ。カンドーさんほど近いところに住んではいないし、ハードな内容でもあるので。

なんかこんなことを書いても何が何だか分からないと言われればそれまでなので、そう言われたら黙るしかないですけれど。

 

言葉をつくして説明すれば理解できるのでは?という錯覚が世界に蔓延してるけれども、本当はあんまり言葉って通じないというか、常々私は、「人は自分の聞きたいことを聞きたいようにしか聞いてない」と思っています。それが悲しいとか寂しいとかではなく、それぞれに通じない言葉を胸に抱えながらなんとなく日常を送っているのではないか?だから芸能人を好きになったり、流行のスイーツを一緒に食べることで、わかり易く一体感を得たりするのかもしれないなーと思っていますし、それは全然ありだとも考えています。

そう、書籍の話でした。はしごたんさんは、また書籍を書けばいいんじゃないかと思いますね。あんなに自分自身のことじゃなくて、もっと嘘を書けばいいんじゃないかなと。彼女の嘘ならきっと綺麗ですよ。あの書籍の話をクルっと裏返しにすればいい。他者との“交渉のやり方”も分かったことだし、シェイクスピアの書いたマクベスの中に出てくる魔女の有名な台詞にも「きれいはきたない.きたないはきれい」って書いてあることですしね。