ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

放送大学に関すること、及び読書その他についてをゆるゆると語る

続・字と絵の関係についてーヘンリー・ダーガーは、はたしてアートなのか?

DVD昨日の続きです。

字、つまり自分の考えていることを文章の形にすると、自分のアタマの中身がばればれになる気がして、結構に恥ずかしい。
他人に本棚を見られるのも、地味にイヤですね。他の人は平気なのだろうか?

恥ずかしい僕の人生

恥ずかしい僕の人生

昔、声楽を習っていたことがあって、舞台で歌曲とかを歌うのは平気だったりする。恥ずかしいとは思わない、緊張はするけれど。
あれは練習の成果の発表だから、そういうもの(人前で発表するもの)だとしか思わない。

絵に関しては、我ながらビックリするほど絵心がないから、やっぱりある種の憧れがあると思う。




しかしながら文章は、脳ミソを通して他人に説明することを伴うという行為に、自意識の問題もくっついてくる。


アウトサイダーアートという言葉がある。正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術、のことなのだが、その中でもぶっちぎりの存在なのがヘンリー・ダーガーである。1982年にシカゴで生まれた人で、1973年に死ぬ前年まで“自分のためだけの物語と絵”を描き続けていた。

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎 デラックス版 [DVD]

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎 デラックス版 [DVD]

偶然、発見されなければ処分されてもおかしくない膨大な作品というか、彼は彼の『王国』の話を、発表するつもりもなくただひたすら紡いでいたのだ。

ヘンリーは、人間が当たり前のように持っている他人に自分をわかって欲しい、という気持ちを持っていたのかいないのか?彼の書いた物語を、どう位置づけたら良いのか?彼の残したものを、私たちはアウトサイダーアートと呼んでいるのだけれど、(というよりそうとしか名づけようがない)このDVDを見ると、ありがちな言葉のスキマからすり抜けていってしまう何かが、私を不安にさせる。

この問題は、私のアタマの中で、ズルズルと尾を引いている。