ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

父親の葬式とニーチェとかたつむり

父親の葬式の話というより、知らない間に父親が死んでいた話

ある日突然、母親から父親が死んだから葬式が○○日にあると連絡が来た。母親は父親が死んで葬式の日が決まってから、娘の私に葬式の日を知らせてきたのだ。本当に突然のことだったので、もちろんすぐ帰ると返事をした。

ところでびっくりし過ぎてその時は気がつかなかったのだけれど、父親が死んでから娘に葬式の日取りを連絡っておかしくない???死にそうになったら、たとえ父親と娘が不仲でも母親なら娘に知らせないか?

母親からの連絡を受けた私は、葬式のために小学生の娘を連れて実家に帰省した。

久しぶりに会った母親は、父親が数ヶ月の間にどんどん弱っていったことをベラベラと私に話してきた。父親が死ぬ数日前には、もうだめだなとわかったらしい。繰り返しになるけれど、そこまで分かってたなら私に知らせてよ。

私は、物言わぬ父親の死体に対面した。こんなにじっくり死体を見たのは、生まれて初めてだった。全体的に白っぽいな、と思った。


その後は葬式にまつわるモロモロ(母親が焼き場に来てくれた親戚に人見知りして、挨拶周りをしないで黙ってすみっこに座り込んでいたので私がまわった)もあったので、全てが慌ただしく忙しかった。

 

父親が死んで何ヶ月かしてふと、あれ?私母親に死ぬ前じゃなく、死んだあと連絡をもらったよね、と気がついた。
実のところ父親とすごーく会いたかった!というわけでもない。でもさすがに死にそうなら、最後に会いたかったよ、実の父親だし。最後だからわかりあえる!とお花畑みたいなこたは思ってなかったが、それでも生きて会える最後なら、会いたかったよ。

 

ここで疑問です。父親がどうとかではなく、母親はどういうつもりで私に死んだ後連絡したんだろう。なぜか私は、その理由を未だ彼女に聞けずにいる。

 

母親は、近所付き合いといった形式的なことなどはできるけれど、精神的に頼りになるというタイプではない。
だから私は心の中で密かにあの人を、頑張る高校生と呼んでいる(彼女は実年齢70過ぎてる)。要はいつまでたっても10代の少女のように幼い部分があると感じているってこと。しっかり者の高校生がいろいろ頑張って、家のこと(主婦)をしているって感じがぬぐえない。もちろん失礼きわまりないので、この言葉を本人に向かって言ったことはない。

 

 

かつて哲学者のニーチェは言った。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだと。私は父親の葬式について思いをはせる際には、この言葉が頭の中に浮かんでくる。そしてこの件に関しては、これ以上の考察ができない。当然母親にも、何も聞くことができない。ムリです。ムリムリかたつむりと、脳みそが拒否してしまう。

まぁこれを人は、トラウマと呼ぶのかもしれないね。

 

yuriyuri.hatenadiary.com