ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

目の人、耳の人

前回の記事に追記しようと思ったけれど長くなりそうだったので新しく書くことにしました。

 

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 子供が入学当初の学年通信に書いた作文のタイトルは「ひまがあったら測ってみよう」。これはどういう意味かというと、新入生として学校から渡された教科書及び教材の量があまりに多いので、たわむれに積んで測ってみたら凄い厚みになって驚いたということだそうです。

他の子たちの作文は、まぁ正直新生活が不安だけれど頑張ろうとか、期待がいっぱい頑張ろうとか(つまり頑張ろうが多い)、受験勉強のために家族がたくさん協力してくれたことに感謝!とか。誤解を恐れずに書くならば、ありきたりの中学生らしい内容を上手いことまとめてあるわけですね。その中で一人だけ異彩を放った作文だったことから、あの作文の子と呼ばれたということらしいです。

これも彼女にしたら、いわゆる大人受けするちゃんとしたやつは試験用の作文で、書いていてもつまらないから今回は書き分けたということでした。(ちょっとびっくり)

それからもう一つ、これは作文とは直接関係がないのですが、彼女は自分の好きなフォント(字体)があるそうです。一番好きなフォントはパソコン上で買うことができるけれどお金がかかるから、できる範囲で工夫するとのことでした。最初はこれ、何を言っているのかが私には分からなかったんですよ。だって私は人生でフォントについて思いをはせたことなんて一回もないですからね。

こういったことから私は彼女は目の人なんだということを理解しました。これはものごとを判断するのに目で直接見ることが主体になっている人ということです。最初の教科書の測ってみようもそういうことで、フォントにやたらこだわるのも見るということが優先順位の一位になっているのだろうなと。絵を描くこともそもそも目で見ないことには始まらないですしね。

反対に私自身は耳の人です。目でみても注意力が足りないというか、いろいろ見落とすことが多く、見たものをぼんやりとしか覚えていない。そのかわり人の話す感じというか、話している内容もさることながら声を出す雰囲気、トーンや大きさがやたらに気になります。つい昨日もドドールで(どんだけドドールに行っているのか)男性と女性が仕事の打ち合わせ的なことをしている様子に気をとられて、つい聞き耳をたててしまいました。(なんか女性より男性の声が倍くらい大きくて丸聞こえだった)

 

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 男性は女性に商品の売り込みをしたいみたいで、声がでかいでかい。怒涛のようにしゃべっており、女性は彼を落ち着かせて話を進めることに四苦八苦していました。多分彼は周りの人にも自分の話を聞かせたいんじゃないのかな。もしくは「カッコイイ俺」をアピールしたいとか。なーんて考えるのが楽しい。

もちろんこの世の中には目の人と耳の人しかいないなんてことではなくて、優先順位は人によっていろいろあるだろうなという話です。できれば両方優れていると、なんでも来い!の人になれるしね。

 

これまで自分以外の人間がものごとを判断する時に、その人自身の何を使って判断しているのかなんて考えたこともなかったけれど、子供とのバトルが激しくなるにつれて様々に思いを巡らすようになり、こんな風に興味深いことが分かってきました。他人を理解するということは、内面だけではおっつかないということでもあるし、気づいてみると意外に単純だったりもするということですね。