ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

男のモノローグと女のダイアローグー誰と会話してるの?

神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-

男は会話なんて嫌い?

私は対話本を読むのが好きなのだけれど、それは対話本というものが、たとえ体裁だけでも“会話”が成り立っていないといけないからだ。本の中には「何かこの論理というか言ってること、おかしくない?」または「けっこう強引に結論まで引っ張ったよね」という本もあったりする。対談本だとその破綻というかほころびが見えやすくなることと男女の違いを感じることに興味がある。。

例えば男性2人で出版している本は何故か交互に意見を述べていく、という形をとっているものがあるが、女性2人の本は、基本しっかり対談している本が多いと思う。(明らかに気が合わないんだろうなーと感じられる本もあってそれはそれで面白い)

また対談好きとして、阿川佐和子さんと林真理子さんの週刊誌の対談も読んでいるけれども、雑誌においても男性が聞き手というと、インタビューの形式のものが多いような気がする。(もしかしたら私が無知なだけかも)

例えば吉田豪のインタビューなどは、*1別に共感をもとめたりしないスタンスなのが分かるし、それはそれで読み応えは十分すぎるほどある。

私は佐藤優氏と池上彰氏の対談本をせっせと購入しているのは、(基本図書館利用が多い)2人ががっつり対談をしているからだ。知識人同士で(これは私の印象だけれども)知識でマウントし合ったりもなく、お互いがお互いのフィールドに対して敬意を持って馴れ合わず、緊張感を保ちながらも議論が展開していくという意味では、大変読み応えのある共著だ。これらの本は図書館で順番を待っていても、いつ回ってくるかもわからないくらい数十人単位で待たなくてはいけない。

 

ふと、基本男性というものは「会話する」という状態が好きではないのかもしれないと思いついた。女性は「会話することそのものが楽しいから、内容はあってもなくても、かみあっていてもいなくても男性と比べるとストレスを感じにくいのだろうか。

勿論男性、女性とはっきり分けてしまう考え方は乱暴だと思うし、先ほど挙げた佐藤、池上両氏は広がっていく会話そのものというより、広がっていく議論に対して非常に重きをおいていると推測されるので、ひとくくりに決め付けるのはよくないだろう。

 

 男×女 女×女

ところで佐藤優さんは女性との対談本が多い人だ。意外な印象があったのだが、中村うさぎさんとの対談では

 

聖書を読む

聖書を読む

 

 

 

聖書を語る (文春文庫)

聖書を語る (文春文庫)

 

 などの共著を出版している。実は2人ともクリスチャンという共通点があるのだが、宗派が違い、互いの教義に関しての議論は結構聞き応えがある。でも話の飛び方に至っては、さすがうさぎさん、そしてそれをものともしない佐藤さんも凄い。

個人的に中村うさぎさんという人は、単体の著書より対談本の方が彼女本来のクレバーな良さを発揮できるような気がする。*2最近読んだ三浦しをんさんとの本

 

 2人は中高一貫の女子高育ちという共通点があるせいか、タイプは違っているけれど、まるで2人で卓球とかテニスをしているように話が弾むのだ。内容はジェンダーがらみのうさぎさんが得意とする分野で目新しいというわけでもなかったが、女子特有の手の込んだマウンティングが一切なく、読んでいて楽しい本だった。

 

モノローグとは演劇において一人の俳優が演じる芝居で、ダイアローグは対話、対談ということなのだが、男性の本の印象はモノローグを強く感じる。台の上から大勢の人々に語りかけるイメージ。女性の本はもっと少人数の人々本によってはかなり限定した個人を想定して語りかけるイメージ。(対話、ダイアローグ)対談本は、男性同士の場合はモノローグしあっているのを見せていただいているイメージ。女性同士だとダイアローグというより喫茶店で知らない人の会話が聞こえてくるイメージ。(時に突然意見を求められたりもする)男女の場合は..............組み合わせ次第かな?

おわりに

だから対談本バンザイ!というわけではなくて、本という体をとっていても、実は男女で姿勢は随分差があるのではないか、という私なりの推論でした。

*1:彼の著書で、『人間コク宝』とか『元アイドル!』などの本は共感するよりビックリするタイプの本だと思う

*2:マツコデラックスとの対談や往復書簡は、あけすけながらも面白い