イギリスの持つ排他性とそれに伴う寛容についてープラハの憂鬱
異邦人であるということ
プラハがタイトルに入っているのに、プラハとは直接関係のない場所であるイギリスで学ぶ佐藤優さんの青春自叙伝です。
この本で書かれたその後の物語です。
イギリス、ロンドンとその周辺での出来事が書かれているにもかかわらず、プラハがタイトルになっているのは、亡命チェコ人であるズデネク・マストニーク氏との濃密な対話が、若き日の佐藤優にいかに多大な影響を与えたかということが、タイトルである「プラハの憂鬱」に表れています。
佐藤さんは外交官の卵として、マストニーク氏はチェコからの亡命者として、イギリスという異邦人に寛容な場所で出会う。二人を結びつけるのは、チェコ神学者のフロマートカ*1です。
もともと佐藤さんは、大学時代にフロマートカの思想と出会い、生涯へかけてその研究をしたかったとのこと。しかしそもそもチェコへの留学手段は非常に限られていたので、ロシアをへてソ連圏であったチェコに至ろうとし、外交官への道を志す。その途中にロンドン留学があり、チェコからロンドン亡命したマストーニ氏と偶然出会うわけです。
佐藤さんの通っていた学校に友人であるテリーという人物の外国人であるガールフレンドの女性によると、「イギリスは人種問題に関して寛容なというか、無関心な面を持ち合わせていて住み分けがなされている」のだそうです。だからこその出会いなのですが、佐藤さんとマストーニ氏の間では、非常に知的で奥深い対話がなされます。
異邦人として生涯を終えることを受けいれているマストーニ氏の持つ諦念と、そして真の意味では決して彼を受け容れないイギリス社会の現実が「他者を理解する」という言葉の重みを考えさせてくれます。
一期一会の出会いについて
また他の登場人物として、語学学校の教師であるブラシェコ先生という人物が出て来ます。彼は亡命ロシア人であり、ウラジミール・ウラジーミロビッチ・ブラシェコという名前はイギリスに亡命してからつけられた第二の名前とのこと。彼は彼を知る周りの誰にも本名を名乗らない、それが亡命するということなのしょう。
ブラシェコ先生は佐藤優という人物に好感を抱いているようだったが、決して自分の住所を教えない。そしてこの二人は、直接はもう、会うことがないだろうという予感を読者に抱かせながら別れていく。
先生が佐藤さんに、モスクワで作られている漆塗り箱に細密画を描いた工芸品を送って欲しいと頼む場面があり、彼が二度と戻ることのできないロシアに対して、どんな思いを抱いていたのかどんな思いで佐藤さんにそのことを頼んだのかが、私では永遠に理解ができないだろうなと思わされました。
佐藤さんは、異邦人(マージナル)な人々から見た英国人社会を書きかったとのことですが、それがかえってイギリス帝国をいうものの姿を正確に伝えているように思います。いずれにせよ読み応えのある一冊でした。