続・梅と私と和歌
また、梅です。しつこいですね、すいません。
ということで、今週のお題である「行ってみたい時代」は、鎌倉時代です。そして橋本治曰く、文学青年であり、おたくでもあったという源実朝と会いたい!というのもありますが、「新古今和歌集」の中の代表的な歌人である藤原定家に会ってみたいなぁと思います。
「新古今和歌集」は、後鳥羽上皇が編集を命じた、当時では最先端の文化の結晶のような歌集です。その中で自由自在に美の世界を詠んでいた藤原定家という人に会ってみたいのです。
彼の歌は、わからない言葉が一つも出てこないけれども「なにがなんだかわからない歌」を詠むことができる技術と才能を持っているのです。
大空は梅の匂ひに霞みつつ くもりもはてぬ春の夜の月
春の夜に梅の花が満開に咲いていて、どこもかしこも梅の匂いでいっぱいだ。夜空が梅の匂いで霞んでしまったようだ。そして月がぼんやりしているのは梅の匂いのせいだ。ーだから今夜は素敵だ。
しかもこの歌は、梅の匂いにやられて頭がくらくらした。-頭がくらくらしているんだから、「何がなんだか分からない」ということらしいです。
結局定家は何を言いたかったのか、橋本さんの解説によると「梅の花の匂いには、きっとそんな妖艶な雰囲気がある」ということが言いたかったらしいです。
めんどくさいんですけど!
と言いたくはなりますが、素晴らしい技巧をこらして、ひねった歌を創ることができる才能豊かな歌人ともいえます。
ただし鎌倉時代に行って定家と話すにはまず、和歌が詠めないといけないので、それが私の中では最大のネックになっています。それを考えると、定家は多分いやみったらしい芸術家タイプか気難しいインテリか...........。やはりここは素直な歌を詠むタイプの源実朝に会いたいにしておくのが無難かもしれません。