ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

起承転結と芸術に蜜月は存在するのか?

昼間はまだ夏の終わりが続いているのに、夕方から夜になると秋の気配が濃厚になってきた。 日常生活は、本を読むようにページをめくっていけば次の展開!とはいかずに、だらだらと進んでいくなーと思う。

しかしながら芸術の秋ということで、 ふと、昔々ミニシアターで観た映画

 

 

を思い出した。 3時間版と4時間版があるのだが、 3時間版の方が話としての流れがきちんとあるのにも かかわらず、4時間版の方が圧倒的な魅力を たたえている。本当に不思議だ。

 

監督のルキノ・ヴィスコンティは、本物の貴族階級出身だったので、あの映画で描かれて いたルードヴィッヒ2世の人物造形は、おそらくヴィスコンティ自身の貴族としての日常の感覚が投影されていたであろう。

 

 もしかしたら人は、自分以外の人間を理解することなどできないのかもしれない。

 

 

なんか起承転結については、あんまり書けてない!!

 

 

ところで映画には、第三者の手によって編集された140分版もあるらしい。ヴィスコンティ自身は、140分版の 存在を、一体どう思っていたのだろうか?

 

一人の人間の人生を描くということにおい て、わかり易く起承転結の形に入れ込んでしまうのは、何かを損なってしまうかもしれないなと、ふと思いをはせてみる。

 

完全無欠には不完全が欠けている

完全無欠には不完全が欠けている