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月の裏側は見えないという話ー『ど根性ガエルの娘』の感想

 

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 正月を挟んで2週間近くに渡って続いた娘の私の戦いの結末は、お互い物理的な距離をとることでまるで何事もなかったかのように収まった(と思う)。

彼女はどうやら私が母親であると同時に、母親も自分と同じ人間であることを理解したらしい。色々と思うところはあったようだが、実際彼女が何をどう考えたのかなんて分からないし、別に知る必要もないと思う。重要なことは自分ではない他人と一緒に暮らす時には、何らかのルールが必要だということを納得してくれたことで、“私たち”はこれからも日々を共に過ごしていける(と思う、多分)。

 

togetter.com

公開されているものを読んだ私の感想としては、以下の通り。

 

エッセイ漫画『ど根性ガエルの娘』15話 全てひっくり返る衝撃の展開に戦慄…田中圭一『ペンと箸』と併せて読むとより恐ろしい - Togetterまとめ

才能と人格は全く別。人は自分の安全のためならなんでもやる。

2017/01/21 13:19

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ふと、この“何でもやる”という部分についてのもっと詳しい解説を書きたくなった。

この何でもやるは、家族全員についての感想だ。父親、母親、娘、息子全員。ああいった家庭にいる時が一番緊張するという機能不全家族のメンバーたちには、家庭の中での決まった役割と絶対に間違えてはいけないセリフがある。家族の中にがっちりとしたヒエラルキーがあるので、脚本を書くことができるのはその家族の中で一番偉い人、つまりヒエラルキーの頂点にいる人物だ。(この場合は父親

“あれ”は疲れる!っていうか常に緊張を強いられるので、生きているのがヘトヘトになる。ついでに言えば、脚本は一番偉い人の「気分次第」でどんどん変わるので、他のメンバーは瞬時に対応していかなくてはいけない。なんでかなんて理由はない。ものごころついた時にはもう“そう”だったとしかいいようがないから。

 

ど根性ガエルの娘』の作者はヒエラルキーの一番下の身分だ。家庭内ヒエラルキーは自分の努力ではなんともならない。だから彼女は結婚して“家の外の世界”に逃げた。

 

地球の上で月を見る時には、位置を移動したとしても、月の裏側が見えない

月の裏側が見えない理由を教えて下さい。 - 月そ... - 天文、宇宙 | Yahoo!知恵袋

家庭内に安全がないということは、普通なら見えないはずの月の裏側を見ているようなものではないか?と昔からぼんやり思っていた。セリフをしくじると見えないはずの暗い部分が目の前に浮かびあがってくる。正しいセリフ、正しい動き、正しい笑い方、頭の中にあるのは「間違ったのか?間違っていないのか?」味方は一瞬で敵になるから、兄弟や母親といえども気を許しすぎてはいけない。

 

マンガの中に土下座するシーンがあったが、妙になつかしかった。私も何回が土下座させられたよ。あんな風に泣きながらではなかったが、高校に進学する時と大学に進学する時。理由は「お父さんがそうしろと言ったから」by母親(感謝の気持ちを態度で表せということらしい、100%思いつきだろうな)

 

我が家に関して家庭内ヒエラルキーが崩れたのは、妹がバリバリのヤンキーになって父親ボコッたことで家庭内一番強いヤツが変わったことがきっかけだったけれど、普通は親が年をとり、なんとなくなんとなくガチガチだったヒエラルキーがなし崩しになっていくようだ(これに関しては実はさっぱり分からない)。多分作者にとって父親が死んだことは完全に予想外だったと思う。脚本の結末としては、もっとゆるやかな親と子の手打ちみたいなものを望んでような気がする。でも父親が作者に黙って勝手に死んでしまったわけだから、彼女は自分で脚本を書く必要がでてきたということだ。従って自分の側から見た真実を描きなぐるしかないということになったわけだ。(だって途中で脚本家がいなくなっちゃったし)

ところでああいう家庭環境においては、弱ったり死んだりした方が負けなんだよね。最後まで踏ん張ったヤツが、好きなように脚本の結末、家族の歴史を創ることができる。だからあの一家にとっては、『ど根性ガエルの娘』が公的な家族の歴史資料になったということ。

 

人は自分の(心と体の)安全のためならなんでもやると思うよ、どんなことでも。

 

 

 

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