ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

明るくないけれど暗いわけでもない話ー『いつまでも若いと思うなよ』橋本治

 

 

先週から今週にかけて、公私ともどもとにかく慌しく過ごしており、ブログを更新するところまでなかなかたどり着きませんでした。よく見る星占いのサイトに「今週はしっちゃかめっちゃか」と書かれており、???と思っていたらあっという間に本当にそうなってしまい、もう今週は占いに当たっておこう!ということにしましたね。占いを信じるか信じないかということよりあんまりいろいろと考える余裕がなかったので、積極的に占いが当たったということにしておこうというわけです。気持ちの処世術とでも言えばいいのか...。

このことに関係がないといえばないのですが、どこかでこの本に書いてあることが頭の片隅にありました。

 

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

 

 なんというか、耳に痛いタイトルの本です。しかも内容はもっとグリグリと40代のわが身を突き刺してきます。

この本は橋本治闘病記です。橋本さんは62歳で顕微鏡的多発血管炎という何万人に一人という難病を発症してしまい、その後も心臓に血液を送る冠動脈の3本のうち2本が詰まっているということでカテーテル手術を受けるなどとにかく明るい話題が全くないという本です。しかも3.11の前後という最悪の時期の闘病生活を書かれています。けれどもそんなことに負けずに頑張ろう!ではなく静かに日々を大切に生きよう!でもないのです。

ではこの本には一体何が書かれているのかというと、人は必ず老いて弱るものであり、それはごく当たり前なことである、ということが書かれています。

 

話が突然変わりますが、私が26歳くらいになったころから母親に時々「四捨五入したら30歳よね♪」と言われるようになりました。なんとなーくムカつきつつも嘘を言われているわけでもないので、まぁそうだよねと思うようになりました。(基本流されやすい)その後も順調に27、28と若い時間は過ぎ去っていき、勿論母親の四捨五入攻撃は止まず、続いていました。ついに30歳を迎えた私に母親は「30歳は20代の続きだけれども、31歳は30代なのよ」(何が言いたかったのか今だ真実は分からない)、と言うようになり、私はとりあえず四捨五入時代は終わったらしいが今度は切り下げとかじゃだめなのかな?と密かに思っていました。(ダメだったらしい)

若いころからこうした女性にありがちな謎の多い超理論を聞かされ続けたせいなのか、いいとかいやとかに関係なく、人間は次第に年をとっていくものだろうと考えるようになりました。別に年をとることで段々と成熟していくから、とかでもなくごくごく普通に人は老いていくんだろうなと。(母親が年齢と共に思慮深くなっているとは特に感じなかったのが大きい)

父親が死んだ後、母親が父親の知り合い一通りに彼の死を知らせたのですが、見事に誰からも返事が来ませんでした。(びっくりするほど人望がなかった)そのことを母親は何度も何度も繰り返し嘆いていましたが、子供の立場から言わせてもらうのなら、彼がしょぼい人間であり、親しい友達もほとんどおらず、家族の誰からも好かれていないことくらい全員知っていました。なんか今更なにを言っているのかな?というのが正直なところでしたね。(夫婦の情愛ということでしょうか?)

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

別に人生で何事を成さずとも、人の記憶に残らなくても、家族と上手くいっていなくても、人間はただ生きて死んでいくのだなぁと妙に感心したことを覚えています。

 

橋本さんの本を読んだ際に、ふと父親人気が全くないよエピソードを思い出し、やはり橋本さんは偉大だなと思いましたね。父親と違って橋本さんの知性は明晰ですし親しい知り合いもいますが、だからといって人が老いて弱っていくということに変わりはないのです。何を成そうが成さまいが人は老いるのです。老いることを受け入れていく難しさがきっちりと書かれている内容は読んで楽しいか?と問われると困るのですが、私の人生にこれから始まる長い長い下り坂をだらだらと下っていく際の心得のためには大層役に立つ本だな、と思いました。

そしてずっと橋本さんの本を読み続けている人にとっては、彼の近況を知ることができるのでおススメできるのですが、読書に何かしらの救いなり明るさを求める人にとっては、もしかしたら何の役にもたたない本になってしまうかもしれません。

まぁちょっと読む人を選ぶ本ですね、今回は。