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綺麗な病気

最近何かと忙しくて、気持ちに余裕がないことが気になってしまい、久しぶりにゆっくりと好きなCDを聴いた。

 

存在の耐えられない軽さ/オリジナル・サウンドトラック

存在の耐えられない軽さ/オリジナル・サウンドトラック

 

 弦楽四重奏の曲が何曲か入っているのだが、その曲をボケーっと聴いていると落ち着く。この中にはマルタ・クビショウァー*1によるビートルズの「ヘイ、ジュード」が入っていて、予告編にも使われている。

 

日本版予告篇 / 存在の耐えられない軽さ

この曲の何がいいっていうと、英語ではないところ。私は英語の曲を聴くとハンパに歌詞の意味が分かってしまうところが苦手だ。これはチェコ語で歌われているから、ヘイ、ジュード以外、何て言っているのかが分からないところが凄くいい。

それからCDにはチェコ語の民謡も入っていて、その曲はソ連軍の侵攻のシーンで流れる。物悲しい響きがひどく耳に残る曲だ。そしてやはり歌詞の意味が全く分からない。

この『存在の耐えられない軽さ』という映画は、ミラン・クンデラが1968年にあったソ連チェコ侵攻について描いた作品を映画化したもので、「世紀の傑作」と呼ばれているし、私も素晴らしい原作であり映画だと思っている。

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

 

 でも私がどんなに知識を蓄えても、チェコ人の気持ちを理解することなんてできない。だからチェコ語で歌われる歌の意味を分からなくてもいいと思っている。歌声も歌詞も分からないまま、それらにただ聞き入ることで何故か心のやすらぎを得ることができる不思議さ。

精緻に美しく造られた作品は人を癒すと思うが、それらを創造した人たちは勿論凡人ではない。そのことを考えると私は何故か「綺麗な病気」という言葉を連想する。芸術という病に侵された人々が罹患する病気。(しかし病気扱いは、我ながら失礼極まりない)多分私は芸術の才能というものを、偏っているとかバランスがとれていないというイメージで捉えているからだと思う。そして凡人である自分がそういった人や作品に不用意に近づかないことでかえってその良さを十分に味わいたいと考えている。

弦楽四重奏「クロイツェルソナタ」 のバイオリンの音なんて、歌詞すらないのに胸を切り裂かれるように切なく絡み合う。エロティックというより非常にセクシーな曲。映画を見たのは随分前のことだから場面をはっきり思い出せるわけではないけれど、CDの中のバイオリンの音を聴くと、静かな気持ちになることができる。

 美しいものを美しいままで受け取りたい。その美しさを自分の“理解”の中に押し込めたくないと思う自分がいる。

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 

 

*1:1989年チェコスロヴァキアビロード革命のおり、1960年代のチェコを代表する歌手の一人、マルタ・クビショヴァー(Marta KUBIŠOVÁ)による、チェコ語でのカバー(チェコ語作詞:ズデニェック・リティーシュ(Zdeněk RYTÍŘ))が、民主化運動を行う民衆を励ます曲として、「マルタへの祈り」(Modlitba pro Martu)と共に民衆によって歌われた。クビショヴァーによる「ヘイ・ジュード」は、1968年チェコソヴィエト軍が侵攻し、いわゆる「プラハの春」を弾圧した事件に抵抗するために「マルタへの祈り」等と共にレコーディングされていたのであった ウィキペディア