昭和は遠くなりにけりー美しかった20世紀について
ブランドができるまで
最初に書いておきますが、私自身は21世紀の今現在に不安はあるけれど不満はないです。時が移り変わっていくことを止めようとするこどくらい無意味なことなどないと考えているので。
今回の放送大学の講義も「社会の中の文化」のDVDです。今回は 広告美術の講義でした。資生堂のポスターの変遷を追うことによって、美に対する人々の「共通感覚」というものを探っていこうという試みで、正直大変興味深い授業でした。
資生堂と言えば初期は唐草模様のロゴが有名ですが、著作権の関係で無理そうなので、それっぽいものを貼ってみました。
先生が資生堂の広報をしていた方にインタビューをしていく形式が講義の多く占めていました。資生堂は1872年、最初は調剤薬局として産声をあげたそうです。最初は練歯磨きなどを売っており、次第に化粧品を扱うようになったそうです。
資生堂を紹介するブログではないので詳細は省きますが、1964年の東京オリンピックのころには、広告メディアで積極的に表現することによって、資生堂ブランドを確立したとのこと*1です。
広告により積極的に表現をつくり出すことによって共通感覚というものを作っていこうとする手法をとるやり方を資生堂はとっていたようです。そしてその感覚を育てていくことが、ブランドの確立につながっていき、それが次第に広がっていくことにより様々な逸話が付け加わり、結果としてブランドというものが形創られていくというプロセスが語られていました。
ブランドができた後
資生堂がそうして発展していく様子を見ながら私が個人的に考えていたことは、広告と資生堂の関係性の緊密さが昭和を強く感じさせるなということでした。メディアと広告の古き良き時代の話、とでも言えばよいでしょうか。明日はもっと明るい、女性はどんどん美しくなり自由になっていくと思われていた時代の広告のモデルははつらつとしていて魅力的だったりしますが、今は“みんな”が憧れる人物はいないのだなぁと感じました。(勿論今のモデルさんたちが魅力的でないという意味ではないです)
教科書には先生が話していない何やら難しい用語が書かれていましたが、そちらの方の知識は今一つ、私の頭には入らなかったようです。