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梅と私と和歌ー橋本治による古典解説

今の季節に全く沿っていないところから入りますが、私は桜の花より梅の花の方が好き、というかより好ましいと感じます。

 

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 我が心の師と勝手に仰いでる橋本治さん著書の

 

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

 

 によってその謎というか梅が好きな理由に納得しました。

時は鎌倉時代までさかのぼり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の息子にあたる3代将軍源実朝という人は、「和歌を詠む将軍」であったと橋本さんは書いています。

当時「東の野蛮人」と都の貴族たちに悪口を言われた関東武士の中で、実朝は「自分の和歌集」を持っているめずらしい人でした。まぁ武士の中ではそういう人は「都かぶれ」と言われて、あんまり評判はよくなかったようですね。

 

実朝はいうなれば“文学にしか自分の生きるよりどころを見出せない文学青年”というものの最初であったと橋本さんは説明しています。

 

ところでこの実朝の詠んだ和歌で、

  わが宿の梅の初花咲きにけり 待つ鶯はなどか来鳴きぬ

*私の家では最初の梅の花が咲いた。鶯を待っているんだけれど、どうしてだろう、来て鳴かないんだ

という歌があります。印象としては「寂しい歌」で梅は咲いたけれども、どこかしんとした情景ですよね。私にはこの人の詠む、どこか寂寥感のぬぐえない歌に詠まれる梅がとてもしっくりくるのです。私と源実朝が梅を見る時に感じる気持ちが、とても近いということを発見させてくれた橋本さんには、かなりビックリしました。

 

勿論私は和歌なんてさっぱり興味もあるわけでも詳しいわけでもないのですが、自分がぼんやりと思ったり感じたりしていることを時空を超えて同じように感じている人がいたんだなぁということが分かってなんだか嬉しいです。

 

和歌にせよ何にせよ教養というものは“何かよくわからないけれどすごいもの”ではなくて、教科書でしか読んだことのない人物の、心の中をのぞくことができるてがかりになるんだということが分かりました。

やっぱり橋本治は偉大です。