ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

現実主義な私が日々心に浮かぶことを、ゆるゆると書いていく

ポイントカードと個人情報についてのジレンマ

去年はろくにブログを更新しない上に、更新したらしたで子育てのグチが多かったので、反省して他の話題を書いてみようと思う。

年末にちまちま掃除をしていたら、なくしたと思っていたポイントカードを発見した。

 

 再発行してまで使いたいと思っていなかったので買い物の際に使うようになったのだが、実は私はポイントカードというものがあんまり好きじゃない。理由はカンタン、自分が日々どこで何を買っているのかを、他人に知られたくないからだ。アレは要するにビックデータを集計するための端末なので、自分のデータを提供する変わりにポイントをもらえると捉えている。

自分の日常の行動をデータ化されて、誰かに知られることに耐えられない、、、といいつつポイントカードが見つかったので、使っているんだけれど。

多分、10代20代の時に母親が私の日常生活を細かく知りたがったことが、ポイントを嫌がる原因だろうと思う。とにかく母親は私が日々どんな友だちと何をして、どこに行ったのかを知りたがる。別に知りたい理由はないらしいのだが、とにかくディテールをやたらに聞いてきた。何とかごまかそうとしても、果敢に(形容詞として正しいかどうかは判断できないのだが)あきらめたりしない。私の母は非常に記憶力の良いタイプの人なので、高校時代の私の好きな人の家族構成や進学先なんかを、10年以上たっても忘れなかった。特に友だちの進学先なんかが大好物で、母はその人が「どういう人物か」に興味があるわけではなく、要はスペックで人を覚えているタイプらしい。

ポイントカードと母の記憶力とが直接関係していないことなんて、今の私は充分解っている。でも自分の行動が自分以外にデータとして蓄積されている事実が、どこか気味が悪いと感じてしまうのだ。それに自分自身のデータを売ってお金に換えているということに、他の人は無自覚なんだろうか?多分私が神経質過ぎなんだろうな。

 

だから私はポイントカードそのものを、なんとなーく作った一枚しか持っていない。でもよく行くスーパーで「ポイントカードをお持ちですか?」と聞かれると、時おりモヤっとした気持ちがしてしまう。(毎回律儀に聞いてくる店員さんと、それを毎回さえぎる自分のこだわりについて)自分でもつまんないことを気にしているのは理解しているのだけれど、そのつまんないことで人間のディテールはできているような気がして仕方がない。

 

 

 

 

(続)子供ってバカー母親の責任は無限大問題について

今週のお題の「2018年の抱負」にも関連してくるのですが、

 

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 前回の記事の続きです。

我ながら煮詰まっていたなあと思いますね。実のところ年末は娘を実家に帰省させて、物理的な距離をとっていました。そして文字どおり寝正月をしながら、一年間の親子密着の疲れを癒していたのが実情ですね。実は私自身が自分の母親と必ずしもしっくりいっているとは言い切れない面があるのですが、母が私の育児に関してはあくまで“手助け”というスタンスをとっているので、(というより彼女は70歳過ぎて今なお少女っぽい面があるので、いまさら面倒なことをしたくないとも言える)娘を預かってくれるのには感謝。

娘が計6日間実家にいてくれたおかげで、だいぶゆっくりできました。2018年は、精神的に娘と距離を取ることを抱負というか、課題にしていこうと思いました。

たっぷりとお年玉をもらって帰ってきた娘は使い道に関してかなり悩んでいましたが、結局趣味のお絵かき道具を充実させることに決めたみたいですね。これについても、基本的には大きい額を使う時に私が説明と許可を与えるだけで、お年玉を貯金しろとかも言わないです。昔自分がコツコツ貯めていたお金を丸ごと父親に使われた経験があるので、子供といえども他人のお金の使い道に口を出したくないのです。

娘は小学校3年生の時のお年玉を「名探偵コナン」の40巻くらいまとめて買ったことから始まって、毎年あっという間にお金を使い果たしていました。しかし今年とうとう、大きい額のお金を取っておくと、色々と便利なことを学んだみたいですね。「お金は使うとなくなる」と理解してくれるまでは、長かったなー。

その他には服を買うために古着屋をチェックしに行くらしいです。「モッズコートが欲しい」とか言っているけれど、合わせる服がないから多分買わないそうです。あと早速スッゴイ可愛い下着を原宿の下着屋さんで買ってきたのを見せてもらいました。(フリフリのいっぱいついたピンクのブラジャー)

それからこれをブログに書いたことがバレると本気で怒られるかもしれないけれど、娘は今年、コミケに参加したいそうです。もちろん自分の漫画冊子を作って!だから出展料のためにも、お金を取っておかなくてはいけないらしい。自分の書いた漫画を製本するにも万単位でお金がかかるし、出展料は小規模のコミケでも8000円とかかかるらしいです()。今ピクシブに挙げている自分の漫画をまとめて本にして、コミケ参加をしたいのだそうです。漫画は感心するくらい、本当にこまめに描いているからなー。親としてはまぁ、法律に触れないことならば何をやってもかまわないので頑張ってねとしか言いようがない。

でも実はこんなに熱心に描いている娘の漫画を、私は一度もまともに読ませてもらっていないのです。理由は「見せたくないから」。嫌がることは無理強いしたくないので、冊子になったら読ませてくれることを祈るしかないでしょうね。

勉強は、、、まあ頑張って欲しいけれど、自分のしたこともしなかったことも両方自分に帰ってくることを理解する時期が来たということで、時々抜き打ちチェックをかけていくことになりそうです。

 

 

 

子供ってバカー母親の責任は無限大問題について

anond.hatelabo.jp

しばらく前に、これについてコメントしたことにも関連してくるけれど、私のこの一年は“これ”に尽きる。

 

ガンになっても帰ってこない娘

娘と言えども自分以外の人間に、自分と同じようにように物事を感じて欲しいと思うのには少々無理がある。「私が」つらい気持ちでいっぱいだから、時間をとって欲しいと頼めばいいんじゃないの?あと文章が分かり難い

特に“娘と自分は違う人間”と分けて考えることは物凄く難しい。わが娘は、落第スレスレというか、退学と言われても仕方ないくらいのひどい成績で中高一貫の高等部に、文字通り進学させてもらった。それからほぼ一年、成績はいまだ低空飛行。ぶっちぎりの最下位だったが、最下位とベリ3くらい間を間をいったりきたりしているのが現状だ。

何で成績が上がらないのかというと、要は勉強するのがイヤというだけのことなのが笑える。実際問題成績が悪いことの理由の多くは、絶対的な勉強時間が足らないことから来ているのだ。もちろん親の私は手を変え品を変え何とかしようと説得と努力の限りを尽くしている。今の学校をきちんと卒業するメリット、将来の選択肢、全てにおいて、“今”頑張ることでどんなに後が楽できるのかも分かりやすく伝えている。

しかし子供の見えているのは『今この瞬間』だけなのが、身にしみて分かった。(子供というか私の娘なんだけれど)ああ、娘アホ丸出し、ていうか数学の追試をやってたことを知らないってなんだよ。先生と私が面談するまで、数学の追試をやっていることすら知らないってどういうことだよ!マジむかつくんだけれど!私じゃそんなこと知りようがない。しかも半年で遅刻30回ってどういうこと!私朝あなたを起こしてますけれど、これ以上どうすればいいのかが、もう分からない.........。

でも、学校は止めたくない、勉強以外は楽しいからって何?義務教育じゃないから、中等部時代のように、私が全教科の先生に米つきバッタみたいに頭さげてもムダなんだってば。単位がとれなければ、ふつうに落第だっつーの。

 

しかも成績が悪いプレッシャーで、すぐお腹が痛くなって食欲がなくなるので、せっせと消化の良い食べ物を食べさせているけれど、皿一枚洗うのも面倒くさくて嫌がる。家事を手伝う余裕がないけれど、絵を描くことととスマホをやる時間はあるらしい。

数日前にそもそも学力というよりも、ある程度勉強が大変という学校のやり方についていけないのならば、たとえギリギリで進級できても3月を期に学校を辞めて欲しいと娘に最後通告を出した。私(親)はもうフォローしきれないから、諦めて近くの学校(通学に一時間かかるため、体力的に大変)か通信にでも行って、自分の好きなペースでやればいいとこころの底から思うよ。

親は子供になるべく良い教育を受けて欲しいと思うのが当たり前だし、実際手助けしてきたけれど、本当に限界。私自身がもうダメ。これからだって、母親の“私”が頑張れば、なんとか卒業まではたどり着くと思う。そしてそのころにはもう少し娘自身が精神的に成長しているかも知れない。でも、もう“私”が無理。そんなに彼女のサンドバックとして頑張れない。

 

実は数日前に、初めてメンタルクリニックに行ってみた。2人だけの世界は煮詰まるから、他者に頼りたくなったので。病院で診察をうけつつ話をしてみたら、カウンセリングを勧められて、我にかえった。別に金かけてまでなんとかしなくてはいけないほど私と娘の関係は悪くないのだ。要は“私”が彼女をコントロールしようとして、上手くコントロールできないからイライラしているだけ。それがたとえ学校に遅刻しないように生活を整えるとか、宿題を期限までに提出するとか、授業をきちんと受けるとかであっても、コントロールはしょせんコントロールでしかない。親の私ができるのは、自分のした行動の結果どういったリスクを抱えるのかを説明したあと黙って見守ることしかできないんだと思う。

現代の育児において、母親の責任はほぼ無限といっても良いかもしれない。なんとか“ちゃんとした子”に育てなくては!というプレッシャーと、日々戦っている。特に母と娘はどうしても心情的にくっつきやすいから、境界があいまいになる。この一年、どこまで世話するのが正解なんだろうと泥沼の中を這いずり回ってきたけれど、私が頑張れば頑張るほどズブズブに沈んでしまうような気がする。でも結局“できない娘”“やらない娘”をそのまま受け入れていくしか、ここから抜け出せないんだろうな。

自慢でも何でも無く、親友もできたしいい学校通ってるんだけどねー。必死で2人して受験勉強したんだけどねー。私はそもそも「行け」とか一言も言ってなくて、自分でどうしても行きたいって、転げまわってごねたんだけどねー。高等部も、自分でどうしても進学したいって言うから、私必死で先生たちに頭下げたんだけどねー。ほんとどこまでが「親の責任」なんだろう。

 

 

 

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卒母のススメ

卒母のススメ

 

 

娘の反抗期が終わった(と、思う.....多分)

高校生の娘が、急に私の話を聞くようになった。正確に言えば、常にファイティング・ポーズで母親に接していたのがそうではなくなってきたというだけのことなのだが...。

娘の反抗期は、小学校5年くらいにはもう始まっていたような気がする。「気がする」というあいまいな表現を使う理由は、あの人が4歳児の時には既に「人の話を聞かない人」デビューをしていたからだ。一度叫びだしたら、全く1ミリたりとも他人の意見なんて耳を傾けることなどしないという性格は、私ではなく別れた夫に激似であの激しさは未だにさっぱり理解できない。しかも「謝ったら死ぬ」タイプの人でもあったので、(これも激似!)私は幾度となく心の中だけではなく口に出して「くそったれ!」と叫んだものだ。(もちろんその程度では、娘は蚊がとまったくらいにしか感じない。なぜなら謝ったら死んじゃうから)

気が付いたら話が“通る”ようになっていた。今まで対話を成り立たせるための下準備の会話をしてから本題に入っていたのだが(私はほぼ営業マンに近い)、それをしなくてもよくなった。最初は正直何が起こったのか分からなくて、「話がまわりくどい」というクレームが娘から寄せられたのだけれど、こっちは「だってすぐブチ切れてたじゃん!」としか言いようがない。

とにかく「話が成り立つ」ようになった。これが反抗期が終わりつつあるという状態らしい。だからといって穏やかに会話が続くかというわけでもなく、私の前には経験が絶対的に不足しているにもかかわらず面倒くさい意見を持つ、高校生の女の子が出現したということになる。

 

 

高校生は親の意見なんて聞きはしない。親に望むのは「おこずかいちょうだい」とか、「ガラケーじゃなくてスマホにしたい」とか、そんなことばかりだ。あとなぜか突然自分でフレンチトーストとゆで卵を自分で作るようになった。どんなに口をすっぱくして言っても調理実習の練習以外に料理をしなかったのに...(しかも卵限定)。

結局時期が来たら、人間はほっておいても成長するのかもしれない。半ば脱力状態になりながら、悟りを啓いたような気持ち半分、もう半分はヤケクソのような気持ちになった。

 

 

資本主義をささえるのは誰?

よく行くスーパーセルフレジ(商品バーコード読み取りは店員がやって、精算は一つのレジにつき2台ある精算機のうち店員から案内された方の1台で行う)が導入されたんだけど、トラブルが起こりそうな気がしてならない。 

 これははてな匿名ダイアリーからの引用になるのだが、

もし間違えて自分の利用すべき精算機じゃない方の精算機に金を投入して精算を完了してしまい、しかも精算額自分のすべき精算よりも圧倒的に高額だった為に、本来それを精算すべきだった人が私のすべきだった精算をしてトンズラをこいてしまったら、どうなるんだろうとか。 

 

アンパンマン New! アンパンマン ミニレジスター

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 これに関して、私は全く違うことを考えていたので(1ミリたりともかすりもしない!)久しぶりにブログを書いてみる。

実は私も最近この清算時のみセルフというレジに遭遇して驚いていたのだが、何に驚いたのかというと「あ、これ基本店員がお金を扱わないレジなのね」ということに気が付いたからなのだ。私がそのこのことに気がついたのは、2回目のレジ利用時が夜11時を回っていたため、アルバイトの何国人なのかが分からない顔の濃い若いニーチャンが会計をしてくれた後に家路を急いでいた時だったりする。

ちょっと話が前後するけれど、よく利用する駅の改札手前にあるコンビニの店員が全員日本人じゃなくなったことを今日娘に言われて気が付いた。どうやら接客業の人手不足を補うためには、もう何人でもきちんと働いてくれさえすれば雇う側も文句がいえない段階に来ているらしい。

「清算時のみセルフというレジ」の導入によってあのスーパーではアルバイトがお金そのものに手を触れなくなる。はっきりいって日本のお金の計算が一応できれば雇う側としては誰でも何人でもオッケーということだろう。それならより安い時給で雇える外国人を雇って働いてもらう方が安く使えていいんじゃないか?と娘相手に熱弁してしまった。(娘はあんまり興味ないらしい)

 

スーパーよりもコンビニは時給の割りに仕事は多岐に渡っていると思うし、客として見ているだけでも覚えることが結構あるようにも思える。(コンビニで働いたことがないので想像ですが)だから外国人でもそこそこ仕事をしてくれるタイプでないと雇えないだろう。でも清算時のみセルフに関して、多分増田さんが心配しているようなトラブルが起こるという想定よりも、経営者側としては人件費の問題の方が大きいんじゃないか?まぁこれは完全なる私の推測で、全然違う可能性も高い。

近年では人件費をいかに低く抑えるのかに対してなかなかエゲツない手法をとるところも増えてきているので、あのレジを使うことで客側は次第にレジに慣れて、その後の店の売り上げの誤差とかも起きにくくなるんじゃないか、日本人の店員も経理や計算に長けたベテランではなく、“日本人の”ベテランパートとか若ーい店員でも店全体の売り上げ清算が簡単にできるようになるんじゃないかと考えてしまった。

安い人件費”という禁断の果実を一度味わってしまうと、経営者というものは、もっともっとその果実をむさぼるために工夫をこらすものだ。それが資本主義が追求する当たり前の姿でもあるのだけれど、その先の未来には特に明るいことなど何もないような気がして仕方がない。

 

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 ※ところで私はブログを書かない間に何をしていたかというと、色々と煮詰まる問題が多発したため、ハーレクイーンを発狂したかのように読んでました。完全に現実逃避ですね。でも100冊以上読んでいたら、“外国人は肉食だからなのか、ちょっとした行き違いでも平気で何年にもわたって激しく争うなぁ”という感想を持ちました。いわゆる大富豪が出てきて最終的にはハッピーエンドが基本ですが、私のお気に入りは女性(ヒロイン)が平気でがっつんがっつん行動するタイプが普通に存在する歴史モノです。それにしても大富豪多すぎ!しかもヒーローは全員背が高いがデフォルトで、子どもがボコボコできたりする!そして基本産む!アラブの王様も王子もイギリスの貴族も多すぎ!一目ぼれが基本なので、美人も多すぎ!面白いからいいけど...。

月の裏側は見えないという話ー『ど根性ガエルの娘』の感想その2

 

月の裏側は見えないという話ー『ど根性ガエルの娘』の感想 - ところでロマンチックを知らせる回覧板は、いつごろ回って来るのか

私にしては多くの方々に読んでもらったので満足していたのですが、テーマというかマンガの持っている破壊力が凄まじかったせいなのか書き足りない!と感じる部分があり、その2を書きたくなりました。

 

この『ど根性ガエルの娘』というマンガを家族の再生の話だと捉えただとか捉えなかったとかでブックマークが盛り上がっているのを読みながら、私自身の感想があまりに違うことが軽くショックだったのです。

 

 

もはや映画の羅生門。誰が真実を語っているのか、誰も真実を語っていないのか、そもそも真実はあるのか。

 私の感覚としてはこのid:rjjさんの感想がかなりしっくりくるような気がしましたね。つまり真実なんてものはそもそもないんですよ。もしくは登場人物のそれぞれがそれぞれの自分だけの真実を心に持っている。

 

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これは全くの私の勝手な想像でしかないのだけれど、作者というか彼女は、描かないと死ぬくらいまで追い詰められていたんじゃないかと思う。何を描こうとか結末をどうしようとかではなく、彼女にとっての「お父さんと私の話」をおそらく描かないとおかしくなっちゃうから描いたんだと思う。だからこの超個人的な話を筋道たててきちんと捉えようとすれば捉えようとするほど、理解すれば理解しようとすればするほど他人にはめちゃくちゃに思えてしまうだろうし、人によっては騙されたような気すらしてしまうかもしれない。

大体描かれていることが全部本当かどうかなんて確かめようもないし、確かめても仕方ないんだよね。

 

それから毒親という表現が出てきますが、それよりも私には彼女が父の娘*1であるという側面を強く持っているのではないか?と思いました。彼女の母親に対するこだわりは、父親ほどではないことからの推測です。

父親ああいう非常に困った人物だったことで、大小のさまざまなもめごとが家族の中で起きたのだけれど、それとは別に彼女は父親との関係にこだわり続けている人(現在形で)なんじゃなかなーと。弟さんは父親に対してそこまでの精神的なこだわりがなかったから、父親とそれなりの関係を築けたのかもしれないなーなんて勝手に考えてみました。

 

でも全ては私の勝手な推測でしかないので、結論はあってないようなものですが、もしかしたらあれは彼女がお父さんへ向けて描いた愛憎の入り混じったラブレターみたいなものかもしれないな、なんて思ったりもします。(さすがに強引か?)

 

 

結局他人の月の裏側は見えないし、わざわざ見る必要もないんじゃないかと思うんですが。

*1:平たく言ってしまえばファザコン。父と精神的に密着する娘のこと。ユング派の女性分析家によって1980 年代に生み出された概念。「父なるもの」の強い影響下にある女性といった意味をもっている。フロイトはこれを男児とは異なる女児エディプス・コンプレックスであるとした。

月の裏側は見えないという話ー『ど根性ガエルの娘』の感想

 

yuriyuri.hatenadiary.com

 正月を挟んで2週間近くに渡って続いた娘の私の戦いの結末は、お互い物理的な距離をとることでまるで何事もなかったかのように収まった(と思う)。

彼女はどうやら私が母親であると同時に、母親も自分と同じ人間であることを理解したらしい。色々と思うところはあったようだが、実際彼女が何をどう考えたのかなんて分からないし、別に知る必要もないと思う。重要なことは自分ではない他人と一緒に暮らす時には、何らかのルールが必要だということを納得してくれたことで、“私たち”はこれからも日々を共に過ごしていける(と思う、多分)。

 

togetter.com

公開されているものを読んだ私の感想としては、以下の通り。

 

エッセイ漫画『ど根性ガエルの娘』15話 全てひっくり返る衝撃の展開に戦慄…田中圭一『ペンと箸』と併せて読むとより恐ろしい - Togetterまとめ

才能と人格は全く別。人は自分の安全のためならなんでもやる。

2017/01/21 13:19

b.hatena.ne.jp

 

ふと、この“何でもやる”という部分についてのもっと詳しい解説を書きたくなった。

この何でもやるは、家族全員についての感想だ。父親、母親、娘、息子全員。ああいった家庭にいる時が一番緊張するという機能不全家族のメンバーたちには、家庭の中での決まった役割と絶対に間違えてはいけないセリフがある。家族の中にがっちりとしたヒエラルキーがあるので、脚本を書くことができるのはその家族の中で一番偉い人、つまりヒエラルキーの頂点にいる人物だ。(この場合は父親

“あれ”は疲れる!っていうか常に緊張を強いられるので、生きているのがヘトヘトになる。ついでに言えば、脚本は一番偉い人の「気分次第」でどんどん変わるので、他のメンバーは瞬時に対応していかなくてはいけない。なんでかなんて理由はない。ものごころついた時にはもう“そう”だったとしかいいようがないから。

 

ど根性ガエルの娘』の作者はヒエラルキーの一番下の身分だ。家庭内ヒエラルキーは自分の努力ではなんともならない。だから彼女は結婚して“家の外の世界”に逃げた。

 

地球の上で月を見る時には、位置を移動したとしても、月の裏側が見えない

月の裏側が見えない理由を教えて下さい。 - 月そ... - 天文、宇宙 | Yahoo!知恵袋

家庭内に安全がないということは、普通なら見えないはずの月の裏側を見ているようなものではないか?と昔からぼんやり思っていた。セリフをしくじると見えないはずの暗い部分が目の前に浮かびあがってくる。正しいセリフ、正しい動き、正しい笑い方、頭の中にあるのは「間違ったのか?間違っていないのか?」味方は一瞬で敵になるから、兄弟や母親といえども気を許しすぎてはいけない。

 

マンガの中に土下座するシーンがあったが、妙になつかしかった。私も何回が土下座させられたよ。あんな風に泣きながらではなかったが、高校に進学する時と大学に進学する時。理由は「お父さんがそうしろと言ったから」by母親(感謝の気持ちを態度で表せということらしい、100%思いつきだろうな)

 

我が家に関して家庭内ヒエラルキーが崩れたのは、妹がバリバリのヤンキーになって父親ボコッたことで家庭内一番強いヤツが変わったことがきっかけだったけれど、普通は親が年をとり、なんとなくなんとなくガチガチだったヒエラルキーがなし崩しになっていくようだ(これに関しては実はさっぱり分からない)。多分作者にとって父親が死んだことは完全に予想外だったと思う。脚本の結末としては、もっとゆるやかな親と子の手打ちみたいなものを望んでような気がする。でも父親が作者に黙って勝手に死んでしまったわけだから、彼女は自分で脚本を書く必要がでてきたということだ。従って自分の側から見た真実を描きなぐるしかないということになったわけだ。(だって途中で脚本家がいなくなっちゃったし)

ところでああいう家庭環境においては、弱ったり死んだりした方が負けなんだよね。最後まで踏ん張ったヤツが、好きなように脚本の結末、家族の歴史を創ることができる。だからあの一家にとっては、『ど根性ガエルの娘』が公的な家族の歴史資料になったということ。

 

人は自分の(心と体の)安全のためならなんでもやると思うよ、どんなことでも。

 

 

 

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